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何物でもないオジさん著「君たちはどう生きるか」

どうもこんにちは。手に職無しの妻子あり、鈴木やすむ40歳です。

家庭をもって子育て(7歳娘と3歳息子)をする中で、子育ての本とか、健康、ブログ、お金などなど様々なジャンルの本を読むようになり、このブログを始めて自分の考えを整理する習慣がつきました。

相当に出遅れた感は否めませんが、そんな何物でもないオジさんだからこそ見えてきた様々な気づきを残しておきます。

「君たちはどう生きるか」のオリジナルを模することもなく、物語になっているってワケでもない、ただのオジさんのブログ記事です。

お正月のサンデーモーニングの特番見た?

お正月にサンデーモーニングの特番「揺らぐ世界 ~この時代の変わり目に~」を見ていたら、“昨今の社会情勢から、どうやら世界が行き詰まってるみたいだけど、これからどうしていく?”ってな感じの内容でした。

何やら生きづらい日本で、学も社会経験も志もない私が、ただ漠然と感じていた不安やモヤモヤを、私にないものを全て兼ね備えているであろう識者の方々が、見事なまでに言葉に変えて私の腹に落としてくれました。

それにしても、ああいう人たちってどうやって育ってきてああなるんでしょうねぇ。。

あそこ(サンデーモーニングのコメンテーター)までいかなくても、有楽町で政治についてのインタビューとか受けて、そのこと自体きちんと理解していてその上に自分の意見をよどみなく述べられる人とかも感心しますよね。

おっといきなり話がそれましたヨ!

で、全て番組に沿う内容でもありませんが、この先の世の中をどういう心持ちで生きていけば、「個」としても社会の一員としても、充実した日々を過ごしていけるのか、主な内容はそんな感じですハイ。

不満はないけど不安があるんだって?

今の若者の8割は、現状に不満はないそうです。

と同時に、7割が将来に不安を感じているんですと。

(何のアンケートだったか失念&ググッても出てこない。。)

コレつまり、物質的な豊かさの終点ってことですよね。

特に不便もないけど、だから心が満たされるかっつーと、そうではなかったと。

前の前の世代あたりの人たちがガムシャラに働いてくれて、世の中が便利になり、いろんな手間から開放されて、おいしいものが安くいつでも食べられる、欲しいものが家を出なくても買える、ちょっとした困り事は100円ショップでたいがい解決。

あー快適。



でもなんだか不安。

どないやねんッ!!

って感じですけど、そう感じるんだからそうなんですよね。

だからって、今までが間違いだったってことではなく、ひとまず目指していた場所にはたどり着いたんでしょう。

んで、同じ心持ちでこれ以上進むと逆にマズいんでないの?!ってのが今。

今でしょ?!

お金よりも時間や健康に価値があると言い切れる時代

お金(による豊かさ)ってものが、あればあるだけしあわせなものではないことはなんとなく分かってきたと。【→ 「公共」もいいけど「政治」と「お金」を義務教育で必修科目にしようや

すると、人にとって大切なものって一体何なんだろうかと考えると、少なくとも四十まで生きてきてハッキリと言い切れるのは心身ともに健康な状態で過ごす時間です。

私自身、気がつくのが遅すぎました。

時間そのものもモチのロン大切ですが、気持ちよく過ごせない状態であれば、さらに自分を苦しめることにもなります。

私自身、18歳から坐骨神経痛(腰から足先までの鈍いしびれ)の症状に苦しめられ、振り返れば膨大なる生きづらい時間を過ごしたおしてきました。

こういう慢性症状って、常に痛みや不快感があるために、その症状だけじゃなくて「やる気が出ない」とか「イライラする」とかそんな症状まで生み出します。

そんな状態で過ごす時間というのは、本当につくづく無益、いや無益どころか害です。

突き動かされるモノに従う

人間なんだかんだで、「こうありたい」という自分の気持ちが一番です。

オジさんになっても変わりません。

こんな私の人生の中で、振り返れば一度「そうそうコレコレ!」っていうイイ感覚でモノゴトに向き合えた時がありました。

そう、18歳で死体Tシャツ屋を起ち上げたあの頃です。【 →「中年の歩き方」運営者プロフィール

内容はさておき、ソレにかかわることなら何ひとつ面倒でないツラくもない、むしろワクワクしてる感じで、全てに前向きに突き進めました。

そしてこれが、いわゆる自立のスタートだったので、この先何をやるにせよこんな感じだろと思ってたんです。

ところが、2~3年のうちに坐骨神経痛の症状がヒドくなってきて、それに伴う意欲低下や憂鬱感も重なり、なし崩し的にTシャツ屋をたたむことになりました(Tシャツ屋だけに!)。

ま、そもそも売れなかったってのもありますけども。

で、それ以来、Tシャツ屋に再チャレンジしたり、カフェやってみたり【 もう一回プロフィール →「中年の歩き方」運営者プロフィール】、何度か無謀なチャレンジを繰り返してはいますが、最初のTシャツ屋の時のあの感覚ってのは味わえてません。

思えば四十路を過ぎた今もなお、この時の感覚を追い求め続けているのかもしれません。

で、「なんか違う」って首を傾げてる。

あッ!そういうことか!解った!ちょっとごめんなさいね、今ワタシ、自分の心の中のモヤモヤした部分が垣間見えたので、ここにメモしときますから。いい時を追い求めて、日々が「こんなはずじゃない」って不本意な気分になっとる!

おい自分、過去をいくら考えてもどうにもならんゾ!それで日々がユーウツになるならお前のその思いはクソだ!考えるな!!【 →悩みやすい人はぜひココ読んでみて下さい。

ふぅ・・・、すいませんね、終わりました。

さて、あなたに言っておきます。

「意欲」とか「興味」とか、当たり前にずっとあり続けると思ったら大間違いです。

なくなります。

きっかけも理由もはっきりせず、いつなくなったかも分からないぐらい、いつの間にかなくなります。

まぁコレも何かしらの慢性症状のひとつなのかもしれません。

とにかく、だからこそ、突き動かされたその時に一気に動く。

生きづらさに煩わされない唯一の方法かもしれません。

ハイ、次!

「政治」と「お金」を知り、コントロールされない人になる

学校で教えてくれない、というか教えようとしないとても大切なものに、「政治」と「お金」があります。【 →「公共」もいいけど「政治」と「お金」を義務教育で必修科目にしようや

どちらについても言えるのは、知らないと誰かしらの都合によって、コントロールされる側の人間になってしまうということ。

いつの間にか損をしたり、得られるべきモノを得られなかったり。

我々一般庶民の常識に従えば、みんなそっちになる。

みんな知らないから。

そこで「みんなそうなんだったらイイじゃん」とか言う人、それで幸せに生きていられるならそれが一番なので、その調子で生きてほしい。

知る知らないの先に、動ける動けないってのがあるにしても、まず知っておく。

今情報がこれだけ得やすくなった世の中で、心がけてそうしなければ、普通に生きることにどんどん不利が積み重なっていくことになるでしょう。

しかし、そんな余計なことにわずらわされずに突き進める道が見つけられればそれに越したことはないし、そもそも政治やお金という社会の根幹ともいえるシステムにわずらわされてしまう世の中ってものが問題なんですよね。。

生気のない顔が行き交う生きづらい日本にいる必要はない

四十路を過ぎて手に職もない、もちろん英語もできない状況から海外暮らしってのは相当にハードルの高い話ですが、若いあなた方にはぜひそんな可能性をリアルにイメージして生きてほしいです。

なぜかって、ザックリと感じるんです。

自分の生きてきた、長いようで短い、短いようで長い四十年の中での世の中の流れとか、日本人の気質とかをザックリ見てたら、日本ってなんか(楽しく生きようとすることに対する)足かせじゃね?!って。

何度か海外旅行ぐらいしたことありますけど、外国の人ってもっとナチュラルですよ。

表情にしても、ふるまいにしても。

日本にいる外国人でもそう。

それにひきかえ、行き交う日本人の表情の暗さ!!【→ 四十路の師走に垣間見える日本の生きづらさ「世の中は本当にジーンズメイトの24時間営業を望んでいたのか問題」

暗いか、イライラしてるか、セカセカしてるかのどれかでしょ?!

そんなニッポン、いいとこ悪いとこあるにしても、差し引き、心地よく生きるのに適した環境ではないとザックリ感じます。

この先も、あなたたちが中年になる頃ぐらいじゃまだまだ変わらないでしょう。

なのでまぁ、おめおめそんな環境に身を置くしかない人にならないように気をつけてねってことですハイ。

争奪戦から降りる

冒頭のサンデーモーニングの特番の中で、 “大学教授・造園家” というイカした肩書のシブいおじさま、涌井雅之氏から「世界は争奪戦になっている」という指摘があり、それを受けたフォトジャーナリスト安田菜津紀さんの「そんな社会の中で自分たちが取りすぎたものをいかに手放すか」という、ホンこれ中のホンこれなお話。

殺伐とした社会情勢の中、あぶり出されるウミのように台頭した「○○ファースト」という自分さえよければな考え方にクギを刺す、大変有意義な内容でした。

かんたんに言うと「ぜいたくしすぎるなよ」ってことになるんですが、おそらくこれからを生きる人からすると “それがぜいたくである” ということ自体ピンとこないんじゃないかなと。

日々おいしい食べものに困らないとか、いつでもコンビニがやってるとか、当たり前になっちゃってる過剰な便利を見直さなきゃなりません。

過剰なものってただ過剰なだけじゃなくて、(気づきにくいですが)そんな社会に生きる人々にそのツケを払わせます。

どこのコンビニ行ってもスーパー行ってもいつでも何でもある状態にするために、過剰に作ったり過剰に生き物殺したりして、余ったら捨てる。

で、その全てに人がかかわっているワケです。

時に足りないことを受け入れればいいだけです。

もう一回、時に足りないことを受け入れればいいだけです。

穫れる時に穫れるだけ獲って「大漁」って喜んで、ありすぎて安くなって、それでも余らせて捨てる。

その反動で不漁になって嘆くって、本物のバカ以外のなんなんでしょうか?!

「大漁」なんて旗かかげて喜んでるのって日本ぐらいらしいですよ。

仕事は「最低限の安心」と「よい習慣づくり」のために利用する

仕事が楽しくてやりがいを感じるならそれが理想です。

が、そうでない場合、仕事に別段なんの興味もなく、あくまで労働の対価を得る手段でしかない、もっといくと働くことが苦痛でしかないとなった時の心の持ち方ですね。【→ 「アナタの普通はワタシの普通」な世の中で生きていく辛さ。からさではなくつらさ。

まずは、仕事をすることによって、日々の暮らしとちょっとの貯えという最低限の安心を得られることを改めて強く意識しましょう。

あと、程度はどうあれ社会とのつながりの維持。

週に5日も6日も毎日8時間なんて働きたくねーよと思えばアルバイトだっていい。

最低限の安心を得るためにやることは最低限でいい。【 →命がけの仕事は、仕事に命をかけたい人に任せよう「過労自殺をしないために」

あとひとつ、(どうでもいい)仕事になんとか価値を見いだすとすると、自分ひとりではどうしてもダレてしまうよい習慣づくりになるということです。

何時に起きるとか寝るとか、酒はこのぐらいにしようとか、通勤で歩くこととか、人と話すとか、ちょっとしたことに思えますが、もし仕事をしなかったらまずダレます。

ダレますし、生活(=自分の心身)に悪い影響が出ます。

そう思うとフリーランスって、売れる能力を持ちつつ、自分を律することができるというなかなかハイパーでスペシャルな人材ですねぇ。。

とまぁそんな感じで、仕事とは健やかな日々のために利用できる価値のある仕組みなんだなと、そういう意識を持つことが大切ですハイ。

常に労働以外の収入源を模索するクセをつける

多くの人は雇われて生きることになるでしょう。

気をつけてほしいのは、その仕事に依存しすぎないこと。

会社はあなたに対して、最低限の賃金で最大限のパフォーマンスを求めます

雇用契約って危ういです。

コレして下さいって契約して、その後やること増えたってそれに応じて給料が増えるなんてことまずない。

その積み重ねで従業員の大半がキャパオーバー

そういう世の中なので、いかにそこに依存しきらずに、「イヤなら辞めていいですよ」って時に「ハイさようなら!」って言えるようにしておきましょう。

自分が安定したら「宇宙(!)のためにどうするか」を判断基準に

もしもあなたが、社会の中でさして不満や不安もなく生きている、または生きていけるメドが立ったなら、どうかぜひ、自分や家族、身内のためから、日本を飛び越え、世界、地球を含めた宇宙全体(急に壮大!)のためにどうすればよいか?を判断基準にして生きてほしいと思います。

「完璧じゃなくてもやることが大事だ!」って、ベンチャー企業がとりあえずで宇宙にロケットを打ち上げられる時代です(いい悪いでなく)。

大げさな気がするかもしれませんけど、環境問題なんか本当に地球、宇宙の規模で考えなきゃロクなことになりません。

目の前のことが片づいたらでいいので、人類のひと粒として宇宙全体のことを考えた判断のできる人になって下さい。

ハイ、以上!

鈴木やすむ40歳による、何物でもないオジさん著「君たちはどう生きるか」を終わります!!

礼!

バイナラーッ!!

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【お気に召して頂けましたら↓モロモロ↓お願い致します~】

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