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虫が死んで泣く中年 ~ペットのカマキリ・マスミを偲んで~

ペットのカマキリ・マスミの画像 中年

手に職なしの妻子あり(小1娘と3歳息子)、鈴木やすむです。

私が昨年(2017.7)から、道で拾ったカマキリを飼っていたことは、皆さんご存知かと思います。

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先日、その飼いカマキリのマスミが天国へ旅立ちました。

◆登場人物(年齢は当時)
・私(40歳・ビルの受付係)
・妻(マスミのお世話係)
・きっちゃん(小1娘・マスミと一番よく遊んだ)
・いーじぇん(3歳息子・ちょっとマスミにビビってる感じでさほど関心はない)

出会いから成長

あれは夏の午後、子どもたちと近所を散歩中に、道の真ん中に小さなカマキリがいるのを見つけました。

最初はいわゆる “虫へのリアクション” だったきっちゃん、父がちょっとの勇気で手に乗せてみたところ、「かわいい!飼いたい!」とのこと。

その足で虫カゴを買いに行き、そのまま家族の一員となりました。

出会った当初の透き通るようなマスカット色が、「マスミ」の名の由来です(きっちゃん命名)。

2度の脱皮を経て、身体も倍近くになり、挟まれても痛くなかったカマの力も、「イタッ!」って声が出るほど力強くなりました。

きっちゃんは、よくカゴから出して、手に乗せてエサをあげたり、頭に乗せて遊んでいて、とっても元気に動き回っていました。。

見え始めた老い

少し前まで若々しく元気だったマッスー(マスミのあだ名)。

ところが、寒さが徐々に厳しくなった12月頃から、動きが目に見えて緩慢になり、(すっかりマスミ観察のスペシャリストとなっていた)妻から「時々止まり木から落っこちてる」という報告も上がってくるようになりました。

元気な頃なら、虫カゴに生きたクモやコオロギなどエサとなる虫を入れると、瞬時に存在に気づき、ジリジリと狙いを定めて一気にカマで食らいついたもの。

それがこの頃には、虫の存在になかなか気づかなかったり、カマでつかむのに失敗したりと、すっかり老カマキリ、哀愁が漂うようになってきました。。

夜中に飛び込んできた訃報にザワつくオヤジの胸

それでも無事に年を越し、大雪も乗り越えて、「こんな感じで老いながらもしばらくは生きてくんだろうな~」なんて思っていた2月のある日の夜中でした。

夜なべをして家事をこなしていたマスミ監察官から「マッスー死んじゃった・・・」との知らせ。

なんとも言えないザワザワが私の心を覆いました。

15分ほどでしょうか、ザワザワし続けてそのまま眠りに落ちた私でしたが、想定外の命の重さにとまどいました。

こんな言い方をしてはアレかもしれませんが一匹の虫の死です。

老いながらも生きていた間に感じた “哀愁” とは全く別の感情が溢れ、とにかくオヤジの胸はザワザワしました。

生きていたマッスー!

朝になり、マスミの様子を見てみると、監察官からの報告通り、いつもなら止まり木や虫カゴのフタの裏にいるマスミが、土の上に縮こまるようにしていました。

しばらく見ていても、やっぱり動きません。

あきらめ半分で名前を呼び、虫カゴをコンコンと叩いてみました



「モゾッ・・」

息絶え絶えではあるものの、マスミはまだ生きていたのです!!

虫カゴの壁際から、止まり木までヨロヨロと歩き、止まり木に寄りかかるようにして、また動かなくなりました。

それでも、呼びかけに反応したりして、まだ生き続けていることは分かりました。

きっちゃんより、旅立つマッスーへの手紙

起きてきてマスミの状況を知った娘が、そそくさと机に向かい何かを一生懸命書いています。

マスミへの手紙と、マスミの絵です。

娘の描いたマスミの絵

手紙は恥ずかしがって読ませてくれませんが、なにやらビッシリ書いてありました。

いーじぇんの方は、説明してもまだよく理解できていない様子で、普通に遊んでいます。

朝、ヨロヨロと歩いて以降、日中はカマや足をちょっと動かしたりして、精一杯生きていたマスミでしたが、夕方になり完全に動かなくなりました。

家族に生きている姿を見せるために夜の間ジッとして待ってたんだろうなと勝手に思ったり、みんなで一緒に過ごすために日曜日までがんばったんだろうなとか勝手に思ったりしながら、家族皆しんみりと床に就きました。

「うめるのバカー!」いーじぇんが感じ取った “命”

翌朝、マスミをお外の土に埋めることにしました。

みんなで掘った穴に、きっちゃんの手紙(結局最後まで見せてくれなかった)、卵のついた止まり木(交尾がなくても無精卵を産むことがある)、そして最後に、きっちゃんの手によってマスミが静かに置かれました。

そこにゆっくり土をかけ始めたその時

「うめるのバカー!」

いーじぇんが泣き出したのです。

ここでの「バカ」は、今のいーじぇんなりの表現で、イヤだとか悔しいとか、思い通りにならない時に出る言葉です。

「うめるのバカー!」を翻訳すると「うめるなんてヤだー!」という感じ。

そりゃそうです、死んだことさえはっきりと認識できていないのに、今まで一緒に暮らしてきたマッスーを土に埋めるなんて、「なにするんだ?!」って感じでしょう。

いーじぇんに説明し、なだめながら土をかけ終え「安らかに眠って下さい」とお祈りをして家の中に戻りました。

思わぬいーじぇんのアクションに背中を押されたオヤジは、トイレで号泣。

死を正しく理解できたかどうかハッキリとはしませんが、いーじぇんなりに “命” というものを感じ取ったのでしょう。

少し経って、こんなものを見せてくれました。

息子の描いたマスミの絵

「いーじぇんとマッスー」ですって。

それでもザワつき続けるオヤジの胸

一度死んだと知らされた時の感情、朝やっぱりまだ生きていたのを知った時の感情、そして本当に死んでしまったあとの感情。

確実に言えるのは「死」に対して湧き上がる特有の感情があるということ。

「生」があればふと消えて「死」に対して湧き上がる感情。

大人になってから何度か、近しい人の死を経験してきたが、人の死もカマキリの死も同じ「死」の感情なのである。

ただ、カマキリにそれを感じて、エサとしてのクモやコオロギにそれを感じないということは、対象とのかかわりの深さによるのだろうか。

なんとも説明のつかない私の心のザワつきも、これまでの死と同じように、ただ過ぎる時間が鎮めてくれるのかもしれない。

「マッスー、天国でも元気で」

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