15年前に漫☆画太郎先生から届いた一枚のハガキ

さてとポテト。

昔を懐かしもう。

画太郎先生の直筆メッセージに支えられたのはランジャタイだけじゃありません。

▼ランジャタイ国崎氏のnote ▼

漫☆画太郎先生、本当にありがとう|ふっとう茶☆そそぐ子ちゃん|note
あたくしは、 小学校四年生の時、すこぶるに頭が悪かった。 成績は、ゲボ吐くくらい悪かったのだろう。 担任の先生が、家庭訪問の時に 本当に褒める所がなかったのだろう。 「明るい。元気、明るい。いい子!」 その話題だけで1時間、しのいでみせた。 母親はそれを察知して、 「このままでは息子はとんで...

15年ほど前、私は杉並区高円寺で喫茶店を営んでおりました。

「カフェ」の方が通りがいいので、今でこそ「カフェ自営してました」なんて言ったりもしますが、当時はカフェという概念が形成されて間もないぐらいの頃で、「なにがカフェだよこのスットコドッコイ!」と鼻息を荒らげ、「喫茶〇〇〇〇〇ン」と命名しました。

ま、隠すほどのことでもありませんが、記事上は一応伏せておきますので、当てたり(知ってる人は)バラしたりしないように(ってまぁべつにいいっちゃいいけど)。

思い返せば涙なしには語れないことばかりで、この15年知らず知らず心にカギをかけ続けていました。

ただ唯一、今なお人々に語り継ぐべき自慢があったことを思い出したので、改めてしっかり自慢しておくことにします。

閑古鳥さえ寄りつかない静けさの中、物好きなお客さんがプレゼントしてくれた画太郎フィギュア一式を店内に飾るべくオブジェを作ったり、その製作(営業)中に、(店だから当たり前なんですけど)急にお客さんが入ってきたことにびっくりしてそれを倒して割ったりする日々。

画太郎先生は画太郎先生で、(小山田圭吾のいじめ紀行ですっかりおなじみの)クイック・ジャパンに、まるで下書きかのような雑すぎる漫画を連載していただけ(多分)の頃で、まだ近年の唯一無二な地位を確立するまでには至っておらず、けっこうしんどい時期だったんではないでしょうか。

▼新連載のタイトルは「漫古☆知新」!!▼

[第1話]漫古☆知新-バカでもわかる古典文学- - 漫☆画太郎 | 少年ジャンプ+
伝説の奇才作家・漫☆画太郎がジャンプラ読者に古典文学を紹介!大胆な新解釈でジャンプラ読者を啓蒙する!

不遇な(と勝手に思っていた)画太郎先生と自分を重ね、なんとかかんとか続けていた店に、3年という店舗の賃貸契約切れの時が近づいていました。

ハッキリ申し上げて、もういっぺん契約するお金も、軌道に乗る兆しも一切なく、かといってこのまましりすぼみな感じで終わっていくのもなんかシャクやな~なんつうイジけた毎日の中、ふと(イベントとかきらいなのに)廃業記念イベントをやることを思い立ったのです。

そこからは、水を得た魚の如く店舗業務以外の作業に没頭しました。

出しものを考えていて、今は亡き友人の「割腹自殺未遂者の割腹自殺未遂体験レポート」以外に、なにかしら目玉がほしいな~と思っていたとき、「画太郎先生にメッセージもらえないだろーか??」という無理難題をまたまた思い立ったのです。

店の本棚に画太郎作品(とマーダーケースブック)がひと通り揃っていることが、店の特徴のひとつだったこともあり、(先生からしたらまったく無関係の見知らぬ店が)廃業に至る経緯や、画太郎作品が店(私)の精神的支柱になっていることなどを(多分)書き連ねて、万が一のための返信用ハガキとともに、クイック・ジャパン編集部に送りつけました。

漁ったら出てきた当時の本棚画像(見えていない下段がマーダーケースブック。画太郎、殺人鬼、野球が当店の三本柱だったことがうかがえる)

数週間後、当然ながら返信ハガキは届かないまま、「割腹自殺未遂体験リポート」で(ホームなはずの)会場をひきにひかせたり、尊師マーチ(「中野の彰晃~♪杉並の麻晃~♪」っていう中野杉並選挙バージョン)をBGMに当店自慢の自家製チーズケーキでご歓談したりして、廃業記念イベントは(スタジオの主人に終始あやしまれながら)つつがなく終了。

(現実逃避に)心血を注いだ廃業イベントを終えて数日、店舗契約満了までの消化営業という現実に気持ちが切替わりつつあったある日のこと。

いつものように、近所の人も眉をひそめる「自称あやしくない店」のシャッターをガラリと上げると、ハラリと地面に一枚の紙切れが落ちる。

もっと漁ったら出てきた、当時の店先のあやしくない貼り紙

目に飛び込んできたのは、(私には)おなじみの当店のシンボル「口ひげに蝶ネクタイのマスター」が「らくがお」され、なにやら叫んでいる姿。

当店のマスターは私でなくこの紳士(という設定)。

近所の人が眉をひそめ続ける中、私はただ、3分間震えて立ち尽くしました。

見覚えのある画風。

その絵が描かれていたのは、数週間前に私がクイック・ジャパンに送ったマスターのポストカード。

そう、漫☆画太郎先生その人から、返信の直筆イラストメッセージが届いていたのです!!!!

ドーンッ!!

額縁はもちろん私仕立て

なんたるチアとはこのこと。

心の底から、画太郎ファンであることを誇りに思いました。

だって、まったく無関係の、近所の人からもあやしがられてて、この世の誰もがかかわりたくないに決まってる得体の知れない喫茶店からの、なんのメリットもないっつーか、デメリットになる可能性の方がはるかに高そうな気色の悪い手紙に、こんなステキなお返事をくれるんですよ?!

いや私ね、これまでの人生で(自分の線引きとしては正直カッコ悪い)自分の利益のためだけの頼みごとを、恥を忍んで(身内以外に)何度かした記憶があるんですけど、振り返ってみるとそういう類の想いに応えてくれたのって、このときの画太郎先生だけですわ。

画太郎先生の、人や損得で計らないホンモノの温かさと、自分の人望のなさになんか泣けてきました。。

本気の本気で「画太郎先生ありがとう いつもおもしろい漫画を描いてくれて・・・」です。

あとね、そんな(他人からしたら)どうでもいいメッセージを画太郎先生に届けてくれたクイック・ジャパン編集部の方がまたサイコーに粋じゃないですか?!(※届けてくれた編集部の方、その節は本当にありがとうございました!!)

とはいえイベントも終わり、店には相変わらず客も来ずで、これといったお披露目の場もなく、当時苦楽を共にしたウン子(仮名)と、風呂なし共同トイレのアパートで(イチャついては)隣の住人に壁をドンドン叩かれながら、ささやかによろこびを分かち合いました。

誰も知らない「喫茶〇〇〇〇〇ン」のためだけに描かれた漫☆画太郎先生の一枚の絵は、残り少ない日々を(お客さんも来ないクセに盗難を恐れて)店の奥にひっそり飾られながら、いつもどおり静かに廃業の日を迎えたのでした。

さて、私があなたに語り継ぐ自慢の物語はこれでおしまい。

世の中にはこんなふうに、ドラマにもならない人生が無数に存在するのかもしれませんね。

そうそう、あのときよろこびを分かち合ったウン子、それが今の私の妻です。

ってヤツを一度言ってみたくて、終盤はそれをネジ込むのに、ああでもないこうでもないとムダに(就業)時間を費やしたことをお知らせしておきます(あと「あの時の粋なクイック・ジャパン編集部員が今の編集長です」なんてパターンもいけたかなと今思いましたけど、そうかどうか一切分かりませんしね)。

じゃ、おやすむ~!!

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