だいたいのことは「余裕のなさ」。「優しくない自分」はSOSのサインやで!

生きづらさ

ここのところよく思うのが、仕事そのものや、生活の中のルーティーン化していること以外のなにかをやるのがヒジョーにしんどいってこと。

流れゆく日常に、活力奪われちゃってる。

頭の中ではアレもコレもやりたいと思っていても、「行動」に移すとなると鉛のように腰も心も重くなる。

電球替えるとか、ちょっとしたことさえけっこうズシッと心の負担になったり。

このままじゃマズいと思ってはいても、今の環境から抜け出すだけの気力さえ残ってない、みたいな。

労働と生活に奪われる時間と心

まずなにより、絶妙なバランスで時間と心を奪いにくるのが労働。

情報やら娯楽やら、おまけに(病名のつかないような)病気なんかもバリバリ増えている中で、労働時間はずっと変わらない。

賃金も増えない。

のに、労働量は増える。

気がつけば、(20年前にこしらえた)経済大国の皮をかぶった、貧困国ですよ。

労働時間がそのままですんで、残りの私生活の時間も変わりません。

情報や娯楽が増えれば、「やりたいこと」も増えます。

つまりは、「時間の価値」は上がってるワケです。

時給は上がらないのに。

心は「実質下がっているお給料」に気づいている

労働時間と賃金は変わらず、労働量は増える。

その現実に蝕まれるのは「心」。

あなたの頭が気づいてなくても、「心」は気づいてます。

このあたりが実に巧妙なワケです。

労働時間と賃金が変わらずに労働量が増えてるってのは、実質「賃金が下がってる」のと同じことなんですよね。

労働量が増えてるかどうか分からないって?

コンビニの店員さん見てごらんなさいな。

私がコンビニ店員やってた頃なんて、レジと品出しと、ソフトクリームぐらいなもんだったのが、今やもうなにやってんだか分からないぐらいなんでもやるでしょ?

にしても、外国人のコンビニ店員さんってムチャクチャ優秀ですよね。

母国語でもない言葉で、頼んでる方もよく分かってないようなことをテキパキこなすんですよ?

んでそんな優秀な人材を、労働力としてしか受け入れないんだから、貧困国に成り下がるワケです。

庶民の金で助け合いを強要するGoToトラベルキャンペーン

とにかく、「労働量」だったり「人の心」だったり、数字になりづらいっつーか、ごまかせる負担は国民に背負わせるワケですよ。

GoToトラベルキャンペーンもそうでしょ?

こっちは外出自粛させられてるんだから、国が直接補助金なりなにかしらの免除なりして、少なくとも存続させられるようにしてあげりゃいいだけなのを、それでも(ただでさえカツカツの生活してる)庶民の財布の金でまかなおうとする。

金出さないためなら、「自粛しながら旅行しろ」なんつー無理問答みたいなことを国ぐるみで成立させちゃうんだから。

でもまぁ、そういう人たちに任せたのは我々国民なのです。

日本のベーシックインカムはきっと「月2万」

なんか話が逸れたような気もしますが、逸れてもいないんですよね。

結局のところ、一人ひとりができることってそれに気づいて自衛することしかありません。

ここまで読ませといてナンですけど、「国を変える」とか以外にこの問題がスッキリ収まる方法なんかないんですよね。

つったって、日本がベーシックインカム導入すると思います?

たとえやったとしても、(諭吉を2枚掲げつつマスク2枚の時のドヤ顔で)「月2万!」とかですよきっと。

ささやかな抵抗は「お金の価値を下げる」こと

ひとつあるとするなら、「価値観」。

ちょい前で、時間の価値が高くなったって言いましたけど、その分だけでも自分の中の「お金の価値」を低くすると、少しは気が楽にはなります。

私の場合、ダウンシフトってのがそれです。

お金よりも、労働以外の時間をよりよく生きるため。

ただ、難しいんですわ。

時間の価値が高まったのは、(それを意図していない)社会的な変化の副産物であって、ある意味自動的にそうなったようなもんですよね。

対して、お金の価値ってのは、親だったり、学校だったり、社会だったり、テレビだったり、(意図してるしてないかかわらず)ありとあらゆる方向から様々な形で長い年月をかけて植え付けられた価値観なので、「よし!今日から変えよう!」なんて変えられるものではありません。

でもね、意外と盲点っつーかね、お金の価値って自分次第なんですよ。

自分がどう感じるか。

だって自分がほしくないものに金出さないでしょ?

つまり世の中で100円の価値のものだとしても、自分の価値観では0円になる。

気づくことで、変わる価値観は意外と多いかもしれません。

って、今気づいたんですが、すでに「余裕」ってワードで記事書いてました。

余裕がないのをほっとくと「そういう人」になっちゃうよって内容です。

中年になると「調子がいい時」がどんどん減る

ここまでは、前の記事と同じく「とりあえず気づくこと」って感じですが、もうひとつ回避方法があります。

健康に生きること。

すいませんね、毎度毎度。

でもね、こういう活力が奪われるような感覚って、けっこう紙一重みたいなとこありません?

調子いい時は気にならないみたいな。

これね若い人、そのままの生活してたら「調子いい時」なんてどんどん減ってくから。

んで、調子の波があるってことは、健康状態がなにかしらおかしいワケです。

ジワジワとなにが原因かよく分からない感じで、気づいたらいっつもなんかモヤモヤしてるみたいなね。

ツイッターで見かけたコレも言ってるのは同じことですよね。

『優しさ』の半分は間違いなく『体力』。体力が尽きた状態で他人に優しくするのは常人には無理。「本当にこれ」「親切は消耗品」
私いつもイライラしてるのは疲れているからなのか…

同意の嵐がすごいけども、気になるのが、「そーだそーだ!」で終わってる感じと、自分の中の貴重な「親切」を奪うな的な感じ。

そんな状態の自分を正当化して、他人を「親切を奪う人」にしちゃマズいんですよね。

これに激しく同意してる皆さんってのは、イコール余裕のない人たちであって、分かってても動ける状態じゃないし、どうしてもそうなっちゃうんでしょうけど。

そんなんで、そういう日本社会のシステムに組み込まれて生きるなら、できる範囲で考えて自衛していくしかないのですハイ。

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