前項はこちら▼
「あいさつ」って必要?
「元気よくあいさつをしましょう」。
しつこいくらいに言われるよね。
私は子どもの頃、あいさつってな~んかイヤでした。
ただ「しろ」って言われるばっかりで、理由がよく分からなかったから。
大人になっても、若い頃は「そこにいるのが分かってるんだから、あいさつしてもしなくても同じじゃん」なんて思ってました。
でも、世の中の変化を体感しながらオジさんになった今、「あいさつはした方がいい」と思うようになりました。
自分なりに理由が分かったからです。
人間は、「人とのかかわり」の中で生きていて、それがなければ生きていくことはできません。
たとえば、無人島で一人で暮らしていたとしても、人の作った漂着物を使ったり、たま~に誰かが来て隠れたり、直接誰かと接することがなくても、それは人とのかかわりになるので、かかわりをまったくゼロにして生きていくのは限りなく不可能に近いことです。
「一人焼き肉」とか「一人カラオケ」とか、なんでも一人で済ませられる商品やサービスが次々と生まれて、今の時代の文化として定着しています。
新しいビジネスになるということは、家族や友人知人などとのかかわりを避けて、「なるべく人とかかわらないようにしたい人が多くなっている」ということです。
たしかに人間関係って面倒なことも多いし、気持ちは分からなくはないですけどね。
私の今のお仕事はビルの受付係で、そこで働く人たちと毎日あいさつをしますが、年々まともにあいさつをする人が減っていて、私にはそういう人ほど「たのしくなさそう」に見えます。
「人とかかわらない」のは、「心はラクだけどたのしくない」のです。
やらなきゃいけないことがたくさんあって、自分に余裕がなくなると人と接することが面倒になります。
「あいさつをされない側」として、もうひとつ感じることは、この人は私と「関係しない」ようにしてるんだろうなってこと。
目を合わせなかったり、顔や体をこちらに向けなかったり、なんとなく「いないのと同じ」にされていると感じます。
要するに、「人(私)とのかかわりをさけている」わけです。
そんないろいろから、あいさつは「相手を認める行為」なんだなと、実感するようになりました。
家族、友人、クラスメイト、ご近所さん、お店の店員さん、関係性はいろいろですが、それぞれの立場で相手との関係性をお互いに認め合う手段が「あいさつ」なのです。
なんとなく照れくさいとか、あいさつをしない感じがカッコいいとか、(若い頃は特に)無意識にそんなふうにしたくなるけどね。
人とのかかわりの中で生きている人間が、相手との関係を認めなければ、孤立するのは自分です。
なにも、元気に「おはようございます!」など、型どおりのあいさつである必要はなくて、顔を見てペコッとするとか、言葉以外の身振り手振りや合図だって「あいさつ」です。
なんなら、お互いに「あいさつはいらない(『会ったことがあいさつ』みたいな)」という認識を共有できている間柄なら、あいさつがなくたっていいのかもしれません。
と、いろいろ書いてみましたが結局もっと単純に、あいさつしないでツンとしてたりモジモジしてるより、普通にあいさつした方が気分よくない?ってこと。
本でのご購入できます。
コメント