前項はこちら▼
「見えないからコワい」し「見えないからコワくない」
今生きているこの世の中は、見えないものだらけです。
たとえば菌とか。
外にも家の中にも、自分の体の外にも中にも、とても小さな目に見えない菌がいます。
そうです、キミたちの体の中でキミたちと一緒に生きています。
ただ見えないだけで、あらゆる場所に菌が生きているのが地球です(地球から見れば人間も菌のようなものです。飛行機の上から見たら人なんて見えませんよね?)。
菌が目に見えないというだけで、勝手にコワがったり殺したり、はたまた「どうでもいいもの扱い」したりしてるのが人間です。
数や歴史なら、菌だらけの世界に人間がおジャマしているようなもので、菌のほとんどは、人間にとって害ではありません。
だけど、「バイキンばっちぃ~!」みたいなテレビのコマーシャルなどによって、人間はすべての菌を悪者扱いして殺そうとします(ほら、テレビってスゴいでしょ?)。
スプレーでシュッシュしたり除菌シートで拭いたりするのは、人間と一緒に生きている、いい菌も悪い菌もまとめて皆殺しにすることで、人間が菌を殺そうとすれば、(ごく一部の)菌も人間に害を与えます。
菌も生きたいからです。
なににせよ、「きたない」とか「気持ち悪い」というイメージはテレビの影響が大きく、意識しなければ、ついついそんな反応をさせられてしまいます。
あとは、「電磁波(でんじは)」も(スゴいけど)見えないコワいもののひとつです。
なんにもつながってないのに、スマホで遠くの人と話ができたり、地球の裏側の映像が見られたりするのってスゴいし不思議ですよね?
目に見えない「電磁波」が、一瞬で世界中に届くことで、飛行機でなければ行けないような場所の人とも同時に話ができたりするのです(飛行機で行けることだってスゴいんだけどね)。
なんにもないと思ってる今ここにも、常に電気と磁気(磁石をくっつけたり離したりする力の元)がセットで波のように行ったりきたりしています。
磁石と磁石がくっつく時に、磁石と磁石の間にはなにも見えないよね?
「見えない力がある」ってことです。
強力な磁石なら、指先をはさんでくっつくでしょ?
静電気でパチッ!となったことあるでしょ?
「磁気も電気も人間の体の中を通る」ってことです。
いいか悪いかでなく、「電磁波の見えない力は人体に影響がある」のです。
スマホなどの人工的に作られた電磁波(自然の電磁波もあります)は、体のはたらきを狂わせます(ホントに?と思ったら自分で調べよう)。
でも日本ではみんなあまり気にしていないのはなぜでしょう?
日本のテレビや新聞では「電磁波の有害性」を伝えないからです。
なぜ伝えないかというと、スマホが売れなくなったり、害を認めたらこれまでの健康被害を、国や関連企業が補償(お金を払う)しなければならなくなるからです。
こんなふうに、世の中のいろんなところで「お金」(やエラい人の悪事を隠すため)で真実が隠されることも知っておきましょう。
本やインターネットで海外の情報などを調べれば、害がありそうだなということはかんたんに分かります。
が、みんな自分から知ろうとはせず、流れてくるテレビを信じている(自分の中の「当たり前」を信じたい)ので、日本では電磁波の害は「気のせい」にされてしまいます。
外国の人が日本に来ると、強い電磁波を発する電波塔(スカイツリーや東京タワーも同じです。その小さいやつのこと。)の近くにも家が建っていて驚かれるらしいです(海外では電波塔の半径○メートル以内は住んではいけないと法律で決められている国がいくつもあります。こんなふうに、日本の常識が世界の非常識だったり、いろんな常識があることを知るためにも、外国語を学ぶのはとても役に立ちます。ちなみに私は全然できません)。
スマホやパソコン、Wi‐Fiルーターなど、無線で情報をやりとりできる機器や、電子レンジや冷蔵庫、テレビなどの、とても強い電気を使う電化製品などは、電磁波の悪影響を受けやすいです(こういうものも調べれば詳しく分かります)。
コードでつないで使えるものはコードを使ったり、電子機器はできるだけ近くで使わず、短い時間で済ませましょう(電磁波は使う距離と時間で影響が大きく変わります)。
みんなが当たり前にやってる「スマホを耳に当てて電話」なんて、自傷行為といっていいかもしれません。
「音」に置きかえてみるとイメージしやすいです。
たとえば、耳のそばで楽器を鳴らされたらうるさくて不快だけど、少し離れたら同じ音量でも普通に聴けますよね。
もっと離れたら聴こえなくなりますよね?
電磁波も「音」のようにどこにでも流れていて、「距離」で大きく影響が変わります。
楽しすぎるだけでなく、そういう意味でもスマホはコワいものなのです。
もうひとつ、新型コロナウィルスの話もしておきましょう。
コロナで世の中がさわぎ出して、キミたちはいつでもどこでもマスクをさせられるようになりました。
「大人のせいでマスクをさせられている」と思ってくれてかまいません。
大人として親として、本当に情けないし申し訳ないです。
マスクがなにも守らず害でしかないことも、(自分が健康なら)コロナが特別にコワいものでないことも、調べればやっぱりかんたんに分かることです(その上でマスクをするかしないかは、ルールでもマナーでもなく一人ひとりの自由です)。
特に、大人よりはるかに健康で元気な子どもにとっては、なにもコワくありません。
だけど、世の中のみんながコワがって、世の中のみんながマスクをすると、自分もマスクをしないといけないような気持ちになりますよね?
私が「マスクしなくていいよ」と言ってもするもんね。
子どもの場合、「コロナがこわい」なんて思ってる子はほとんどいなくて、「注意される」とか「友だちになにか言われる」とか、そんないろんな気持ちがこんがらがって、「しなきゃ」と思っちゃうのかな。
どんな理由にせよ、たどっていくと「不安な気持ち」が元になっているのではないでしょうか?
きっと、「不安にコントロールされている」だけで、「不安」は「知ること」「気づくこと」でなくなっていきます(マスクの害は調べればかんたんに知ることができますが、たとえば霊や魂みたいなものの場合、知ること自体が難しいから、ずっと昔からずっと不安がなくならなくて、ずっと語り継がれてるのかもしれません。「見えないのに不安」ってことは本当にいるか、テレビにあおられているだけか、どっちなんでしょうね)。
長い間マスクをさせられているので、すぐには「不安がなくなればマスクを外せる」とはならないかもしれないけど、「知ること」「気づくこと」は、その第一歩になるはず。
「知ること」「気づくこと」は、考えるきっかけになるからです。
はっきり言うと「マスクを外さない人」の多くは「考えていない人」です。
「外せない人」「外そうとも外したいとも思わず周りに合わせる人」も同じこと。
不安だけでなく、(次に出てくる)「同調圧力」もあるでしょう。
ただみんながしてるからみんなと同じようにマスクをするのか、他人の目を気にしてマスクをするのか、自分で知って考えてマスクをどうするのか。
ただ「みんなと同じ」にすることは、考えたとは言いません。
本でのご購入できます。
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