さてとポテト。
なんにせよ人間関係が難しい世の中になりましたね~。
私が特に思うのが、「冗談が通じなくなってる」ってこと。
まーSNSの炎上なんてのは分かりやすいですよね。
たいがいが、「冗談へのマジレス」みたいなもんじゃないですか。
いやそら堅いこと言えばそうだけど、、っていう。
リアルの人間関係でもそんな風潮ありませんか?
私個人のことでも、振り返ればそんな感じで友人を失ってきてる気がするんですよ。
いや私ね、ブラックユーモア的なのとか、イヤミ臭い冗談が好きで、気の置けない間柄であればあるほど、ついついそんなん言っちゃうの。
まー水死体Tシャツ作る人間ですから。
それってべつに今に始まったことじゃないっつーか、時代に合わせてマイルドになりこそすれ、少なくとも若い頃より今の方がヒドいってことはないワケです。
なんなら、歳とともにマイルドになってるのを「つまらん人間に成り下がってる」と捉えてて、そんな自分に不甲斐なさを感じてるぐらいで。
それでも、私の言動を不愉快に感じるようになって人が離れていくってのは、はっきり言ってしまえば、「相手の変化」に他ならないんではないかと、自分を正当化してますよ。
おっとなんか、冒頭から話が逸れてる、というより向かう方向がちがってますかね。
さっきのSNSの話とか、テレビのコンプライアンスがどうとか、世の中の変化と自分の体感から、とにかくそんなことを感じるワケです。
ただ、相手のことは他人が変えられるものではありませんし、自分がそんな時にどうしたらいいかなってのが、ここんとこ明確になってきたなと。
起きることが同じだとしても、それに対する捉え方や対応の仕方でよくも悪くもなる。
これが要するに「ツッコミ」なんですハイ。
「アホか!」って言われたときに、「アホちゃうわ!」とか「お前よりマシじゃ!」なんつってバチッと返せると、そこには当人同士のみならず周りのみんなにまで笑い(笑顔)が生まれるワケですよ。
それが、そこでシュンとしちゃったり、「たしかにボクなんて、高校中退出だし母子家庭だし・・・」とか言ってたら、笑いどころじゃなくなって、言われた方は「かわいそう」で、言った方は「悪者」になっちゃう。
それがまさに今じゃないですか。
いやいやお笑いの話でしょなんて思うかもしれませんけど、日常のコミュニケーションで、「こう言われたときにこう思う」ってのが変化してきたからこそ、普遍的と思われてきたお笑いの基本形までもが通用しなくなって、「誰も傷つけない笑い」なんてものが生まれてくるワケで(※マジメなことを言うとそれも、大衆が「反応」だけで生きてる弊害だと思ってます)。
そんなんを考えると、お笑いってやっぱすげーななんて思ったり、お笑い芸人の自殺が少ないのもうなづけたり、ってことは上島竜ちゃんの自殺ってホントかね?って思ったり。
さ、またなんか話が変な方向へ向かいましたか。
ウチの娘がね、少し前まではけっこうそんな感じで、オヤジのジョークでシュンとしちゃうようなとこがあったんですけど、最近なんだか、キレのいいツッコミで返すようになってきたんです。
よくモノを落とすことから、我が家では「落としの神」を超え「落としの宇宙」とまで呼ばれる娘小6。
この前小3だった娘がもう小6ですよ。。
たとえば、おかずを皿から茶碗に乗っける途中でテーブルに落とした時に、私から「さすがは落としの宇宙だ…」なんてイヤミっぽい冗談が出たとする。
この時に、「まぁね~(田辺さんで)」とか「さっきパパも落としてたから!」とか、サクッと返ってくると、パッと明るい一家団らんの食卓になるワケですが、そこでムッとされたり、目に涙をためて黙っちゃったりなんかされたら、空気が一気にドヨ~ンとしちゃうワケです。
で、それを回避しようと思えば、「冗談のないコミュニケーション」か、発信側が「誰も傷つけない笑い」を身につけるしかない。
「トリニクちゃんが食べられたくなくて逃げちゃったヨ!」なんつって素人がパッと思いつく程度のクオリティーの低い冗談でも、ないよりはマシだろう。
ちなみに笑いのプロである「歯茎紫マン」こと岡野陽一氏は「鶏肉に風船をくくりつけて空を飛ばす」。
昨今のクズ芸人ブームも、「自分を最底辺に置いて虐げることで、リアルの生活で底辺にいる人たちが安心する状況」が着々と増えているという社会の変化を如実に表していると感じる。
プロは(死活問題なので)クオリティーの高い「誰も傷つけない笑い」を身につけていくが、素人は「冗談のないコミュニケーション」だったり、なんなら「コミュニケーションをとらない」方向に向かう。
余裕がないから。
身の周りでもそんな感じあるでしょ?!
ほら、お笑いどうこうだけの話でもないんですって。
話がゴチャゴチャしてきましたし、もう終わりにしましょう。
せめて私としてできることは、「クオリティーの低い誰も傷つけないジョーク」を身につけることとか、「クオリティーが低くてもとりあえずツッコむことで冗談のあるコミュニケーションに変える」ことですか。
発する側でも受け手側でも、「ネガティブ」や「(逃避からコミュニケーションをとらないことによる)無」を、「ポジティブ」に変換するためにできることをしていこうって感じ。
じゃ、おやすむ~!!
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