さてとポテト。
【嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか】を読みました。
「知るため」でなく「読みたいから読む」感覚を思い出した
久しくまともに野球を見てませんが、それでもヒジョ~に面白かった。
(中身読んでなけりゃ)どんだけ嫌われエピソードつめ込んでんねん!なんて思っちゃう、辞書みたいにブ厚い本。
でもスラスラ読めました。
いやね、私この5年10年ぐらいの間、いつでもなにかしらの本を読んでるって感じなんです。
それが、そこまでそんな意識もなかったんですけど、「知るための読書」ばっかりだったんだなってのに気づかされましたね。
私の読みたくなる本その一【24人のビリー・ミリガン】
「早く読みたい」「もっと読みたい」って気持ちで読む本って、人生さかのぼりまくって、まともに字の本を読み出した頃(高校中退後辺り)に読んだ【24人のビリー・ミリガン】以来じゃないでしょうか。
私の読みたくなる本その二【消された一家―北九州・連続監禁殺人事件】
あとコレなんかも読んだ時はそんな感じだったけど、メンタル削られまくるので、今はもう読みたくないですね。
人間の所業じゃないから。
本棚の下段がマーダーケースブックで埋め尽くされた自営カフェを営んでいた元殺人鬼マニアの私いわく、松永太は「世界一の鬼畜」です。
具体的なネタバレなしの【嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか】の感想
さ、話を戻しましょう。
せっかくなので、具体的なネタバレはナシで、軽く書評めいたものを。
一応、落合のために言っておくと、落合が単なるヤなやつなんでなくて、「なぜ落合はそうするのか?」ってことの答え合わせみたいな内容の本です。
ちゃんと意図がある。
つーか、なんの意図もなしでやってたら、それこそただの嫌われ者ですから。
落合を読み解く中で、選手やスタッフ、(著者はじめ)記者たちとの個々のやりとりが絡み合う感じがなんか味わい深いの。
突き詰めて言ってしまえば、監督落合の行動言動はすべて、「チームが勝つ」という結果のためで、そのためにいろんなものを削ぎ落としすぎちゃうから、誤解が生まれて嫌われるって感じ。
おそらく、選手落合の頃は「自分個人の結果」だけを追い求めていたんでしょう。
契約にシビアなのもなんかうなずけます。
選手落合であれば、自分一人の中で片づくことが多くて、(話題にはなっても)監督の時ほど問題にはならなかったけども、監督としてチームとのかかわりの中で結果を出そうとすれば、なにかと問題が表に出てくる。
本人的には同じようにやってるだけなんですよね、きっと。
選手として「個人成績という結果」を出すか、監督として「チームの勝利という結果」を出すか。
監督落合からすれば「勝てばいいんでしょ?」って感じなんだけど、ファン(も多くの選手や関係者も)ってのは勝ち負け以外にもいろんなものを求めてるってのがよく分かります。
人間同士が、数字や結果だけで分かり合うことの難しさ(それでも、数字や結果だけを求めること自体に「意図」があるのが理解できれば、最終的には分かり合えるってのがこの本のまとめみたいなとこ)。
でね、落合がまたとにかく「説明しない」の。
これってまぁ、子育てしてみると理解できる部分もあるんですけど、「説明してやらせる」のと、「自分で気づいてやる」のとでは、取り組み方も身につき方もちがって、一番大きいのは、メンタル的に「やらされてる」になるのか「自分からやる」のかって、そこの気の持ち方で、同じ行動がポジティブにもネガティブにもなるってとこ。
ま~しかし、同僚として選手落合と付き合うのはまだいいけど、選手として監督落合と付き合うのは相当キツいでしょうねぇ。
なんだかんだ、結局意地の悪い性格&見た目ではあるので。
って落合元監督と信子夫人と福嗣クンに申し訳ない締めっちゃあ締めだよねぇ
さー以上、久しぶりの「読みたくなる本」だったので、ご紹介してみました~。
じゃ、おやすむ~!!
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