さてとポテト。
いつまで経っても終わらないコロナ。
ここんとこなんとな~く思うこと。
建前の感染対策
「本音と建前」ってのが、すっかり国民性として受け入れられてる感のある日本。
なんにでも本音と建前があって当たり前。
日本のコロナ対策ってのは最初からず~っと建前ですよね。
(クラスターだなんだのニュースを一応事実として)一番の感染拡大要因になり得る満員電車は議題にもせず、結局なんの対策もなく、建前上すっかり「大丈夫なもの」になってる。
外からマスクして入って、屋内でマスク外して飲み食いおしゃべりしても、アクリル板があれば大丈夫。
なんのための建前かって、感染拡大したときに「自分は自粛してた」「自分はマスクしてた」って言うための建前。
店は店で「対策してました」って言うための建前の対策。
コロナの雑な設定を、「建前」にして自分らで正当化しちゃってるというか。
責任を負う人がいない
感染の責任を負いたくないだけ。
自分の責任ぐらい自分で負えよ。
ってなんで自己責任なんつって、感染しただけなのに責任負わされちゃうのよ。
まずその論調なり空気なりに違和感感じないと。
本当に恐怖の感染症にかかったら、自分も周りも「助かってよかった!」になるでしょ。
それはまーいいや。
未だにこのパンデミックが自然発生的なものだと思ってる人はこんなブログ読んでないでしょうが、(コロナではっきり見えてきた)世の中の仕組みの中での日本の立ち位置がまた、日本人の「責任逃れ気質」にぴったりマッチしちゃってるっつーかね。
少数の「支配欲や狂った正義感で動く人たち」の下に、無数の「お金や保身で動く人たち」がいる。
日本どうこう関係なく、この構図があるからこういう世の仕組みがここまで強大になっちゃったんだと思いますけど。
で日本ってのはバリバリ後者の「お金や保身で動く人たち」なワケです。
主導せず(できず)言われた通りにするだけの国なので、幸か不幸か最終的に責任を負わなくていい。
日本の中だけで言うと、「いかに責任負わずに甘い汁吸い続けられるか」みたいな人や組織がコロナを終わらせないだけじゃないですか。
責任を負う人がいないからコロナが終わらない。
国でも省庁でも専門家でも、会社でも学校でも、各フェーズで「自分がすべて責任を負うから全員マスクを外そう」って言える人がいない。
国がそうなんだから国民もそうなる。
マスクしないと感染拡大するよって、責任回避のためにマスクして、今度マスク外せって推奨されても、強制じゃないのにマスク外したら自分のせいにされるって、マスク外せない。
するのも外すのも、一定の「責任逃れ」要素がからんでる。
国としても国民としても、とにかく責任から逃げたがる。
河野太郎みたいのが、なぜ逆に打て打てなら言えるかって、最終的な責任は自分にないと思ってるから。
清掃の新オジさんもとにかく責任から逃げるくせ、自分のプライドだけは頑なに守る。
他人の目を気にするのも「自分の責任」にしないため
他人の目を気にするってのも、自分で自分の責任をとらないための予防線みたいなもんですよね。
「みんなやってるから」って。
なんかそう捉えてみると、「責任負いたくない」ってのにかなり集約されるような気がする。
人生あきらめてる(ように見える)人多すぎ問題
そもそもこういうアレコレは、考えれば出てくることで、当人たちはなんにも考えてないように思える。
あきらめが完全に染みついてて、「あきらめる」という選択肢を選んでいる自覚すらないから、「考えて選択する」プロセスそのものが抜け落ちちゃってる。
まぁそう教育されてきたからそうなる。
コロナどうこう以前に、自分の人生あきらめちゃってる人ばっかりやん。
いや知らんけど空気的に。
っと、急ですけどそろそろおしまいにしましょうか。
なんかもうちょいまとまるかと思ったら、ツラツラと綴るだけになりましたヨ。
あ、あと最後に、ツイッターで流れてきた異論マスク(イロン・マスク)さんのツイートに、なんの気なしに乗っからせて頂いたところ、多くの人にディズニー記事を読んで頂けて、大変喜んでおります。
このヘンピな場所から御礼申し上げます!
じゃ、おやすむ~!!
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