さてとポテト。
いや~、もうきっとムリですね。
「マスクをしないこと」が標準に戻る社会の実現は。
正直、珍しくまあまあ希望を感じてたんです。
ゴチャゴチャ言おうと思えばいくらでも言えますけど、今までマスクをし続けてきた人たちの大部分がいっぺんに外せるきっかけとしては、非常にいい区切りかもなって。
キリのいいところでルールを変えて、あなたも私もみんなでできるだけマスク外して、最低限「マスクをしなくてもいい国」に戻しましょうっていう。
子どもは前倒しで3月って案も、なんか「情」があるじゃないですか。
日本人に関してはもう、理屈とか科学とか事実より、情でいいんですよ。
と思ったらそれがまぁ~、逆にまたTHE日本人炸裂というか、急に中途半端な折衷案に落ち着いちゃった。
マスクも、国から「屋内不要」と言うのはやめて、「個人の判断」に(責任を)委ねられました。
このニュアンスの違いで外せなくなりますね。
これって、「コロナ終了」はお上から通達がきてるにしても、細かい期限とかマスクうんぬんってのは、ある程度日本に裁量が与えられてるんだと思うんですよ。
(※この記事ツイートしてくれて「いいブログ見つけた」的なコメントをしてくれてた方、スゲー励まされて返信しようと思ったらもう消えてて?大変ガッカリしています!てゆーかホントありがとうございます!!)
すると結局、誰も責任取りたくない(し、日本としてはワクチン捌く必要がある)からこうやって、なにがどうなってもうやむやにしやすい決定(なにかあったら「GW明けまで延ばしたんだから仕方ないよ」って言える)になっちゃう。
「新年度から」っていうのと「5月8日のGW明けから」じゃあ、やっぱり分かりやすさが全然ちがうじゃないですか。
足並み揃える感が一気になくなるというか。
みんな一緒にやってこそ、なんですよ日本人は。
いや~、キビしいな。。
子どもの新学期逃しちゃうのもホント惜しい。
ここで個人の判断に委ねておしまいなら、これからの若者子ども世代は「マスク標準」確定みたいなもんですよ。
これね、子どもいない方は「親がしっかり導けば子どもも外すよ」と思うかもしれませんけど、そんな単純なもんじゃないんですって。
小学校に上がって学年を重ねるにつれ、子どもの心の居場所は「家族 」より「友だち」になってって、友だちがマスクをするなら一緒にマスクをしてた方が居心地がよかったりするワケです。
それこそ理屈より科学的事実より感情なんです。
マスクは有害無益と理解している親が、親の価値観、親の正義感で子どものノーマスクを強要すれば、板挟みになって苦しむのは子どもです。
一時的に苦しみを伴ってでもそうすべきというのも親のひとつの判断だとも思います。
やりようがないとは言いませんが、子ども本人の気質、親の伝える内容、伝え方、タイミング、社会の動き、仲のいい友だちのスタンスなどなど、いろんなことがすべてハマって初めて、子どもが自分の意志でマスクを外せる環境が整うぐらいのもんです。
でどっか「一手まちがえば詰み」ぐらいな。
私も慎重にアレコレ考えながらやってきましたけど、一人の親の力なんてもんは社会の力には到底敵いませんで、我が子たちは基本一般的な社会のルール通りにマスクをしてます。
子どもの苦悩を感じてからは基本なにも言いません。
まーだから、結局なにが憂鬱かって、この先も我が子が社会の空気に倣ってマスクをし続けて大人になっていくのか~ってとこなんですかね。
あとはもう、最低限「マスクをしないことがはばかられない社会」になってくれたら御の字ぐらいの、こじんまりした願いにダウングレードして生きていきましょうか。。
しかしまぁ、スタンダードが「理由なきマスク着用」って、ホント気色悪い国ができあがったもんだわ。
じゃ、おやすむ~!!
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