さてとポテト。
ジャニーズ事務所元社長ジャニー喜多川氏のドキュメンタリーを見てみた。
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J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル(字幕版)47分と、ちょっと時間を作れれば見やすくコンパクトにまとまってます。
エンタメ的でなく日本人の国民性に迫るドキュメンタリー
まず言っとくと、際どい性描写とか、衝撃の新事実とか、これ自体をエンタメとして楽しもうとしちゃう人にはあんまり向かないかと思います。
なんなら、我々大衆も含めた日本人そのものの国民性に迫るような内容(と私には感じられた)なので、無意識的に結局他人事っぽく処理しておしまいにしちゃうというか。
個人的にはいろんな気づきがありましたが、続報っぽい展開がなければ、日本ではこれ以上話題にも問題にもならずに、今までのように時と共に埋もれていってしまうんではないでしょうか。
世界目線だと「これが問題にならないの!?」って、ますます奇妙な国に映りそう。。
元ジュニアたちに共通するジャニー喜多川氏への感情
メインは計4人の元ジャニーズジュニアへのインタビューで、その4人ともに共通するのが、ジャニー喜多川氏へのネガティブな感情よりも、むしろ感謝とか愛着のようなものが感じられるところです。
性被害そのものについても、そこにいる時点で納得づくというか、性交、、いや成功との交換条件のようなものという認識で、傍から見たら「性犯罪被害者」でも、本人たちにその自覚はありません。
自覚がないというよりは、そういう理由をつけて受け入れることで、(実際にされたことに対する)自分の心を守っている感じですよね。
まさに「体で払っただけ」みたいな。
そんなジャニーズ事務所をトップ企業にのし上げたのが日本
個人個人の心のありようとしてはそんなとこで、それにしてもなんでこんなことがまかり通り続けるのかってとこに関しては、2人目の男性が車中で話した言葉がすべてを物語っているように思えました。
一線を越える行為があったならそれは犯罪では?と問う記者に対し、(おそらくそうであろうと認識しながら)それを受け入れトップ企業にのし上げたのが日本なんだと。
「日本そのものだと思います」と。
一般庶民からすると、特殊な社会の特殊な出来事のように感じられますが、正しいかどうかではなく「その社会の当たり前を受け入れただけ」という態度は、私には、もはや国が必要ないとアナウンスするマスクを今もなお外さない日本国民の姿と重なって見えました。
4人の元ジャニーズジュニアも大半の日本人も、本質的には「長いものには巻かれろ」的な似たようなもので、自分で判断せず責任は負わないけど「自分はまちがっていない」と思いたい心理みたいなところですよね。
だまされてる側、被害を受けてる側がそれを認めなければ、仕掛ける側の思い通りの状態が続くだけ。
その状態を保ち続けたまま死んでいったのがジャニーさんなんでしょう。
ジャニーズ事務所の受付にはジャニーさんの肖像画が飾られてるんですと。なんだか、死刑の後も教祖の写真を崇めたてまつる宗教団体がチラつきました。
ジャニーズとカルト宗教と日本のマインドコントロール
ジャニーズの合宿所で起きてることも、カルト宗教で起きてることも、島国ニッポン全体で起きてることも、本質は同じようなもので、(誰かの意図があってもなくても、程度に差はあっても)マインドコントロール状態にあるんだろうなって。
ジャニーズとカルト宗教で言えば、その先に「誰にでも分かりやすいスターへの道」があるか、「一般的には理解し難い信念から社会的脅威になり得るか」のちがいで、故にジャニーズの方は近親者含め「被害者である」とは思いづらいというかな。
ってゆーか、常にそんな危険をはらんでいるのが、マーケティングとか全部ひっくるめて、すべての人がなにかしらのマインドコントロールに晒されてる現代社会ということになるんでしょう。
いや私ね、少し前にコロナ絡みでこんなことを思ってたの。
最近コロナ絡みで思うこと。
気づけばずいぶん前からそうなってたんでしょうけど、もうすっかりコロナどうこうの話しではなくなってて、最大の問題は社会全体が深刻なマインドコントロール状態に陥っているように感じられること。
体制、権威、メディア等々に疑問を持たない、速やかに誘導に従うことのみが善、異論を認めず排除に向かう。
ワクチン、マスク、消毒、検温、ソーシャルディスタンス、アクリル板、外出自粛、緊急事態宣言などなど、数々のコロナ対策。
当初から今も、それぞれの対策にいろんなイメージや、いろんな事実や、いろんな体験や感情があろうはずなのに、疑うことなく抗うことなく、ただ従う。
もはやコロナ問題というよりマインドコントロール問題
それで何冊かマインドコントロール系の本を読んでみたんです。
で読んだ後は、宗教のマインドコントロールとはちょっとちがう気がするんだよな~なんて思ってたんですけど、今回コレ見て、状況は色々でも人間の習性として信じたい(自分が正しいという)心理や反応があって、(少数の)それを利用するタイプと、(大多数の)利用されるタイプがいるというのが原則で、規模の大小問わず地球上のどこででも、いろんな形であることなんだろうなって。
正しくない社会の正義は正しいのか
敗戦をきっかけに、アメリカや支配層からメンタリティー(などなど)を都合よくコントロールされてこじれまくってるのが現代の日本人なワケで、外からの視点で伝えてくれるありがたさは感じつつも、「世にも奇妙な日本人」に仕上がってしまっている要因は先進諸外国にだってあるんじゃないのかね~と思ったりもして。
ジャニーズ事務所に直撃後、西洋人広報?の魂を売り渡したような対応を受けて
それと、社会が罪だと糾弾する出来事に対して、すでに「死人に口なし」なのにも関わらず、やられた側がやった側を恨みに思っていないというか、むしろ感謝の念すら抱いているのであれば、わざわざ(社会正義であっても)他者の正義を押しつけて罪にしようとする必要ないんでないのって。
一家団らんに突然警察が押し入ってきて、「お前、今子どもに酒飲ませただろ!?逮捕!!」みたいな。
それがたとえマインドコントロール状態だったとしても、(他者の脅威にならなければ)わざわざ解こうとするより、そのままいられた方が本人もその周りもしあわせかもよって。
社会が必ずしも正しくはないことがこれだけハッキリしてしまった今、そんな社会の声ばかり気にするよりも、近しい人と共にしあわせに生きることの方が大切かもよって。
とかそんな、いろんなことを感じました。
Mobeen Azhar 記者へ
モービン・アザー記者 @Mobeen_Azhar に@ツイートするつもりなので、届くかどうか分かりませんが、追伸メッセージ書いときます。
別件で、エンターテイメントの闇を感じさせる類似テーマです。
日本の有名歌手である浜崎あゆみが、顔も声も明らかに別の人物に代わり、最近本格的に活動し始めています。
ツイッターの一部で話題になる程度で、日本社会は、メイクだの整形だの加齢だの陰謀論だの、信じたい理由を自分から並べて、何事もなく受け入れることでしょう。
調べるほど、どこでどう変わったという判断は難しくなりますが、元々の浜崎あゆみと、この春辺りから(?)会見やテレビに出ている人は明らかに別人だと感じます。
脳みその無意識が「ちがう人」と反応しちゃう感じ。
※枠内あくまで私個人が数十分ウェブ上を調べた程度の見解。
2021年11月のアナフィラキシーショック報道(アナフィラキシーの理由は不明ですが、自身のインスタグラムでの発信もあり、新型コロナワクチンが疑われています)からの復帰以降と思っていましたが、改めて遡って確認してみるとそれも怪しく、私が歌声容姿ともに本人と思えたのは2015年前後まででした(その辺りからテレビ出演自体が少なくなっていたり、アップの映像が少なくなっているのも気になりますが、あんまりこじつけると陰謀論にされちゃうので、気になる方は自分で調べてみて下さい)。
▼2003年▼
▼2007年▼
▼2013年▼
▼2018年▼
▼2023年▼
▼わざわざ丁寧に記事にしましたヨ!
その他、自殺とされている俳優の三浦春馬や竹内結子の死など、その出来事自体も謎が多いものの、見たい部分しか見ない日本社会の受け入れ方が、あまりにも従順すぎて気味が悪いです。
どの人物にも「熱狂的ファン」がいるはずですが、大きな騒ぎにはなりません。
ジャニーズのケースも同様で、起きていることの異様さもさることながら、日本国民の受け入れ方に、より異様さを感じます。
社会構造上、大手メディアが触れられないであろう部分も多く、取材は困難を極めるでしょうが、現代の日本人の気質がよく分かると思うので、ぜひ外国から見た日本の異様さを世界に届けて下さい。
じゃ、おやすむ~!!
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