「調べないのに信じない人」は日々底辺に格下げされ続ける。情弱では済まない。

「調べない人信じない人」は日々底辺に格下げされ続ける。情弱では済まない。の記事のアイキャッチ画像 してはいけないこと

どうも、林やすむ[@hayashiyasumu]です。

なんとなく生きていては、しあわせになれないことがはっきりしてきました。

真実かフェイクニュースか区別もつかない、情報だらけの現代社会で、ただなんとなく流れてくる情報にさらされていては、都合よくコントロールされるだけです。

それを「情弱」と開き直るだけでは足りません。

情報があふれるほど「普通の人」が「情弱底辺」になっていく

「情報あふれる現代社会」という流れはもう止まることはないでしょう。

社会が刻々と変わっていく中でそれまでと同じように生きていると、本人は「今までと同じことをしている同じ自分」のつもりが、社会から見ればいつのまにか「なにもしない人」「なにも知らない人」に格下げされているのです。

「新しいことを知らない」だけではなく、「常識だったモノゴトが非常識になっている」ことにも気づくことができません。

すべてに気がつかなければしあわせかもしれませんが、世の中が今(以上)のペースで変化していけば、今そんな意識のない人もイヤでも気づかされるでしょう。

ますます生きづらくなるばかりです。

当たり前だった「普通」や「常識」がいつのまにか非常識になる

これまでの世の中で、特に意識せず普通にやってきたことが、どんどん普通ではなくなります。

今すでにそんなことだらけです。

家の電話がなくて当たり前な世の中になるとは思ってませんでしたが、今あっさりそうなってます。

そして、今もまだ家の電話を使い続けている人は情報弱者扱いされ、半グレによる振り込め詐欺やアポ電強盗など新しいスタイルの犯罪のターゲットにされるのです。

本人的には、今まで通りの普通のことが、防犯という観点では「非常識」なことに変わっているワケです。

分かりやすくお年寄りを例としましたが、中高年でも同じようなことが起こる日はそう遠くないでしょう。

反射的に「信じない反応」をしてしまう人は要注意

この記事でいう信じないというのは、「常識を疑え」という革新的な方向ではなく、既存の常識に囚われるあまりに新しいモノゴトに対して(なんの根拠もなく)抵抗感だけを示すということです。

誰かが話した「ちょっと突飛に思えること」に対して、ある種クセのように「否定」してしまったり、「信じられない」と思ってしまう人は、その心の反応を自分自身で分かっておいた方がいいです。

人間は元来、変化を嫌う生き物です。

人が「変化」を恐れる理由とその対処法

そのため、無意識的にそれまでの常識を優先してしまいます。

自分の無意識に気づいて、改めて世の中を見渡してみましょう。

エビデンスだけを信じない

今のように、日々刻々と常識や真実が入れ替わる世の中になってくると、エビデンス(科学的根拠)の信頼性が高くなるのは必然ではあります。

ただ、エビデンスというのは、あくまでも現時点で科学的根拠が証明されたものであって、エビデンスのない真実が無数にあったり、現時点の証明を覆す新たなエビデンスが出てきたりするワケです。

そんな中で、エビデンスのないものは信用しない、エビデンスが証明されるまで待つという姿勢でいては、極端な話、待っている間に死にます。

また、ビジネスになるかどうかで特定の分野のエビデンスだけに偏ったりもしますし、こじつけのようなエビデンスが乱立したりもします。

自分なりに調べて、信じられる情報かどうかを見極めることを習慣にしましょう。

調べないのに信じない人は格差社会の中で常に損をし続ける

誰もが情報を得やすくなった現代社会。

冒頭でも書いたとおり、これまでどおりに生きているつもりの「変わらない自分」が、知らず知らずのうちに「​​無知な人」に格下げされるという話。

「格差社会」が深刻な問題なら、国がどうにかしてくれるだろう、なんてことではきっと収まりません。

国は、格差があろうがなかろうが、国全体としての数字が一定の水準を保っていればひとまずそれでいいワケで、格差社会の底辺に手を差し伸べるのは、あるとしても相当後回しになるはずです。

持たざる者は、あらゆる場面で利用され搾取されることになります。

まずはとにかく、そういう現実に気づいて、自分なりに考えを巡らせましょう。

VR[仮想現実]だAI[人工知能]だと便利過ぎるテクノロジー社会は人類滅亡の始まり。滅亡を予想する識者たちの声
どうも、アンチ食洗機でおなじみ、カフェオーナーからビルの受付係にダウンシフトした林やすむです。今40歳、世の中便利になりすぎましたね。ホント極論ですけど、このまま行けば人類は滅亡するでしょう。一番の問題は、人間が動かなくなること、考えなくなること。そして、動くこと、考えることをどんどん面倒臭がること。

コメント

タイトルとURLをコピーしました