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「いいたのしさ」と「コワいたのしさ」
「たのしさ」には大きく二種類あります。
「いいたのしさ」と「コワいたのしさ」です。
「いいたのしさ」は、友だちとおしゃべりしたり、体を動かして遊んだりするたのしさや、絵を描いたり、本やマンガを読んで集中したり想像するたのしさ、楽器をひいたり歌を聴いたり歌ったり踊ったりするたのしさです。
「コワいたのしさ」は、ユーチューブやゲーム、スマホ、テレビなど、主に「画面と一対一」になるたのしさです。
「いいたのしさ」は、たのしさ以外のデメリットが少なく、心にも体にもいい影響が大きいです。
「コワいたのしさ」は、いいたのしさよりも刺激が強く、その分だけ心と体の負担になります。
たとえば、人を殺しまくるゲームやテレビが、ゲームだから心と体になんの影響もないと思いますか?
その負担はすぐには分かりませんし、はっきりゲームのせい、テレビのせいとも分かりません。
いつの間にか目が悪くなっていたり、心と体が疲れたり、自分でも気がつかないうちに自分の考えや無意識の反応を変えさせられたりします。
さらにコワいのは、一人で機械を相手にたのしく過ごせてしまうことです。
コワいたのしさは、実際に生きて生活しているこの場所ではなく、「画面の中の世界」と言ってもいいかもしれません(この先「メタバース(仮想空間)でたのしく過ごそう!」なんてエンタメ的な普及期に入ってくるでしょうが、まず「なぜそうしていきのか?」など自分なりに考えてみましょう。VRやメタバースが人の体や心に及ぼす影響はまだまだ未知です)。
人間は本来、人と人とのつながりの中で生きる生き物で、自分一人では生きられません。
一人暮らしをしてたって、アパートに住んだり、お金を使ってなにかを買ったりしていれば、それは人と人とのつながりの中で生きているということ。
それなのに、大きくなればなるほど「一人がラク」とか「一人になりたい」と思うようになります。
私もそうでした。
インターネットやスマホによって、いろんな種類のつながりができたことで、本当は一人でいるのに一人じゃないように思えたり、人づきあいが複雑に、不自然になったのも大きな理由のひとつでしょう。
一人になりたい時に一人でたのしく過ごせるなら、ユーチューブ見ちゃいますよね?ゲームしちゃいますよね?
だからこそ、「いいたのしさ」と「コワいたのしさ」を知って、できるだけ「いいたのしさ」を自分から選ぶことが自分のためになるのです。
私が、「テレビやゲームをしたいなら、その分外で運動もしなよ」というのもそういうことです。
ちょっとオマケ。
「勉強はイヤなもの」というイメージがあるかもしれませんが、ちょっとぐらいは「いいたのしさ」に変えられます。
勉強はイヤでも、問題が解けるとスッキリして気持ちいいよね?
そのスッキリする気持ちよさを求めて、テストは「クイズ」、授業は「ヒント」だと思うと、ちょっとはたのしくなります。
クイズに正解するためにヒントをよく聞いておく、ってこと。
大人になって役に立たない勉強も多いけど、できないよりはできた方がいいし、イヤでも「学歴」で決めつけられたりするのもまた世の中です。
勉強も学歴も、お金のためとかミエをはるためでなく、たのしく生きていくために利用する道具として身につけられるといいんじゃないでしょうか。
私は「学歴なんてクソくらえ!」なんつって一年で高校をやめましたが、大人になってけっこう困ることが多いです(笑)。
本でのご購入できます。
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