さてとポテト。
ここんとこそんなんばっか言ってるが、気づいてる人たちの攻撃性というか、「上から感」がやっぱなんか気になる。
いやね、国が外そうって言ってるのになんで外さないの??って気持ちは分かる。
ただ、3月13日に国からマスク緩和のメッセージがはっきり出たことで、「社会」としては変わったのです。
翌日は全然変わらんやん!って思ったけど、やっぱ日に日に変わってますわ。
行き交う人がマスクをしてるかしてないかは、それほど大きく変わりません。
なにが変わったのか。
「マスクは任意」が言葉の通りちゃんと任意になりましたよね?
おそらくこの数日の外出だけでも、空気の変化を感じられたはずです。
ノーマスクの人にとってなにが受け入れ難かったのかって、任意と言いながら、国の実質強制のようないろんな動きに社会全体が盲目的に従ってきたこと、んでその風当たりが自分らに向かってたことじゃないですか。
かんたんに言えば矛盾ですよね。
矛盾があるからこそ、社会全体に対して疑問を投げかけ、正しそうな顔をした社会のルールに抗ってきたワケです。
あなたも私も。
それがね、国が明確に方針を打ち出したことで、(少なくともマスク着用に関しては)矛盾も矛盾を元にしたストレスも、とりあえずほぼなくなったんです(子どものマスクとかまだまだ問題はありますけど)。
マスクをしない自由もあるし、マスクをする自由もある。
そう、マスクをするのも自由。
今までは、マスク推奨に従ってただけの人も、自分の自由意思でのマスク着用になったんです。
そこを見落としてる気がするんですよね。
ただこれまでと変わらずマスクをし続けているように見えて、自分の意思に変わってるんです。
マスクをしない自由が生まれたのと同時に、(本人が意図せずとも)マスクをする人の意味合いが変わったってこと。
どちらも自由で、誰になにを言われる筋合いもないワケです。
正しいかまちがってるかなんて関係なく。
任意の矛盾が消えたとこで、マスクをしない人が(推奨に従って)マスクをし続ける人を説得する必要もなくなったの。
今までは、「あんたらがいつまで経ってもそんなんだからこっちが迷惑してんだよ」っつー、正当性らしきものがあったのが、こうなるとなんならもう必要かどうかどころでなくて、迷惑行為になっちゃってるってこと。
今まだそれやってるって、自分の正義のみでマウント取ってくる厄介者なんですってば。
少なくとも、今それをしてもいい対象だと私個人が思えるのは、この社会の流れの中で、まだ「マスク、消毒、検温の声かけ」をしてくる店(&やらされ続ける従業員)ぐらい。
個人対組織という構図も含めて。
突き詰めて言うと、世の中にネガティブを撒き散らしているかどうか、ですよ。
そういう意味では、マスクの声かけしてくる店も、自分の意思でマスクしてる人に対して(具体的な解決策も提示せずに)マスク外せってバカにして見下してるツイッターアカウントもたいして変わらんってこと。
何度でもちゃんと言っときますと、私だってそんなん書いてたこともありますけど、今尚それするかい?って。
世の中の仕組み全般についての真実を淡々と訴え続けるのは自由だけど、気づかない人を小バカにするのは、やっぱりもうちがうんでないのって。
なんか結局同じようなことばっか言ってますけどね。
一応、今回の記事は「マスク着用」のみに関して思うことであって、まぁもっと広く見れば、結局気づいてる人が増えないとどうにもならんってのはそうだよなとも思うので、なにが見えててどういう意図でやってるとか、私レベルでは思い至らないようなこともあるのかなと思ったりもしますが、とりあえず多くの人が、もはやマインド・コントロールの被害者であろうはずで、気づいてる皆さんには、その辺まで含めて手を差し伸べるぐらいのデキる人であってほしいもんだなと思ってる次第ですハイ。
じゃ、おやすむ~!!
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