高校中退×母子家庭×足立区民、逆境をバネに本質的な子育てを追い求めるアラフォーパパ、林やすむ[@hayashiyasumu]です。
現在7歳の娘と3歳の息子の子育て中。※年齢は記事初出時
本当にいろいろあります。
今回はいろいろあるうち、一見軽めだけどはじめが肝心なことを書き留めておきます。
心得ておくかどうかで、今もその先もストレスフルな親子関係につながりかねませんので、読んだ方がいいですハイ。
小さな子どもが求めるのは “親の愛” だけ
私思うんです。
小さな子どもって本当に純真無垢だなって。
「パパー!タッタッターごっこ(ただせまい家の中を手をつないで走り回るだけ)しよう!」
それをしなければ心の底からずーっとやってほしがるし、やったらものすごい嬉しそうに走り回るんです。
極論、これだけなんだろうなってことです。
だからこそ、親(大人)の対応次第だと。
親の初期対応の重要性
親がそれをどう捉えてどう対応するかが、子どもの将来的な思考のクセ
みたいなものにつながります。
「遊んで」って言った時に、
- 「すぐ遊んでくれた」
- 「なんか言われて遊んでくれなかった」
- 「イラつかれて怒られて遊んでくれなかった」
成功体験がどうとか小難しいことはここでは言いません(正しくは「言えません」)が、そら3.を繰り返されたらいい方向に行くワケないことは明らかですよね。
デザートを定常メニューにしてしまったことの代償
上の子が小さい頃に、夜ご飯のあとのデザートをデフォルトっぽくしてしまったんです。
本当になんとなく。
そしたらもう、子どもたちからしたらあって当たり前。
となれば、なければ欲しがるのも当たり前。
子どもの当たり前を作るのは親なんです。※ココ重要。
多分もう、子どもと呼べるうちはずーっとそうするしかなくなってしまうのです。
そこで「今日からデザートなし!」なんてのはナンセンス極まりないですよね。
自分からあげといて。
※始めたばかりならスパッとやめましょう!
ごはんは義務?
なければ欲しがるということよりも、もう一歩踏み込んでさらにやっちまったなと思わされるのが、「ごはんをジャマ者扱い」するようになってしまったこと。
ろくにごはんを食べてないのにデザートを求めます。
3歳の息子に「今日のダートは(デザートは)?」とはもう何度となく聞かれてますが、「ハハンなぁに(ごはんなぁに)?」はめったにありません。
ごはんを喜んでモリモリ食べてほしい親と、ごはんよりもデザートが気になってしょうがない子ども。
「子どもに罪はありません。」
そうしてしまったのは親。
これって親からしても「罪」とまで言われるのはツラいところですが、何気ない一手が親子ともども日々の不満につながってしまっているというのが現実ですよね。
食べるものが(基本的に)ごはんだけなら、お腹が空いたら「ごはんまだ~?」になるだろうし、月に一回たまたまデザートが出てきたら「イヤッホ~!!」ってなもんですよね、きっと。
戻ってココのバランスだけでもやり直したいです。
子どもが求めているもの
ここで立ち返るのが、子どもが本当に求めるものは何なのか?ということです。
「だっこして」とか「パパ見てー!」とか「トイレ一緒に来て」とか「あそぼう」とか、どこの子でもだいたい似たようなことを言うと思います。
よーく思い返してみて下さい。
大人が与えた余計な情報を除くと、全部「親がちょっと動けば叶うような願い」ですよね?!
ものすごく簡単なんです。
「見る」とか「立ち上がってそこに行く」とか「一緒に鳥(折り紙)が飛んでる風にパタパタ~って遊ぶ」とか。
大人のフィルターを通すと、一連の子どもの願いが重要性・緊急性が低い割に手間のかかるものに感じられて、ついつい、それぐらいのことで呼ぶなよ的な対応をしてしまいがちです。
そこなんです!
無邪気さを失った汚(けが)れまくりの大人のフィルターではたいしたことなさそうな願いが、子どもにとっては「今その時の自分の人生で最も大切な願い」なんです。
その願いに向き合ってしっかり応えることが親の愛であり、その愛を受けて、子どもはのびのびと育つんではないかなぁ!と私は思うのです。
まとめ
というワケで、何かと誘惑の多いこの時代ですから、色々難しいと思います。てゆーかそもそも子どもを喜ばせたいという気持ちからの行動ですしね。
ただ、そうだとしても、こんな感じでそれ一回で終わらなくなって、お互いにネガティブな感情を抱えることになってしまったりするので、とにかく親がしっかり考えて判断することが最も重要です。
「親がこうしたら子どもはこうなる」ってことをイメージしながら、間違えたと思ったら習慣になる前に素早く軌道修正しましょう。
んじゃ、バイナラーッ!
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