リアルが生きづらい人の[フォロワーが少なくても反応される]ツイッター活用法【本質編】

生きづらさ

どうも、最近やっとツイッターを面白がれるようになってきた林やすむ[@hayashiyasumu]です。

最近やっとってことは、今まではずっとムリしてたってことですハイ。

ってゆーか、今だって「気持ち悪いな、俺」と思いながらやってる部分は大いにあります。

どちらかというと消極的なスタンスだった私が、一年ほどツイッターと向き合ってみて、現時点でのツイッターをはじめとするSNSの意義と、汎用的で「自分のためになる」使い方が見えてきたのでまとめておきます。

今回の【本質編】と、次回【具体的な実例編】の二本立てでヨロシクどうぞ。

※2018.12.12二本目公開しました。

リアルが生きづらい人の[フォロワーが少なくても反応される]ツイッター活用法【具体的な実例編】
どうも、林やすむ[@hayashiyasumu]です。二本立て記事の二本目です。前回で本質的な部分を踏まえてもらって、今回は「フォロワーが少なくても反応される方法」の実例などの他、具体的にどんな使い方をすると疲れず自分のためにツ...

なお、私自身、フォロワー数200にも満たない何の影響力もないアカウントですからして、(当たり前ですけど)フォロワーの増やし方とかそういうのじゃなく、むしろフォロワー数を意識しないことでムリなく楽しめるツールにしましょうってなことです。

最近なんか疲れるなぁって人とか、ちょっとやってみたけど挫折しちゃったっきりの人とか、ずっとなんとなくで使い続けてる人には「ほ~」と思ってもらえるんじゃないでしょーか?!

※大前提として、使い方は人それぞれですので正解不正解はありません。

ただ思っただけのことを入力して送信する気持ち悪さ

(特にアラフォー世代が)まず始めにブチ当たるのが、ただ思っただけのことをスマホなりパソコンなりで文字入力して、(見てるかどうかも分からないっつーか多分誰も見てない状況の中)見ず知らずのどっかの誰かに向けてポチッと送信するという行為の気持ち悪さとか虚しさですよね。

SNSはおろか、インターネットのない時代を生きてきたってのが大きいかもしれません。

もし、若い人で同じような感覚があるとすると、そういう感覚を強く持つ親に育てられたのかもしれません。

あなたの常識は他人の常識の寄せ集めでしかありません。

ダウンタウンと生きづらさ 〜アラフォー男はだいたいダウンタウン症候群〜
どうも、ごっつ世代の高校中退、林やすむ[@hayashiyasumu]41歳です。夢で逢えたら、ガキの使い、ごっつええ感じ、この辺りを多感な時期にリアルタイムで体感していた方なら、多かれ少なかれダウンタウンの影響を受けてきたのではな...

SNSの気持ち悪さの先に見えた価値の逆転

ものすごーく抵抗を感じる人がいる一方で、世の中的にはすっかり普通のことになってて、進んでそれをやりたがる人が多くいる。

前述した世代の影響に近いけど、またちょっと別の要因が見えてきました。

これつまり、「実社会での自分の評価の価値」よりも、「SNSでの自分の評価の価値」の方が重要な世の中になってきてるってことでしょう。

フォロワー数の価値みたいなことはまぁずいぶん前から言われてることですけど、最近TikTokなんかの盛り上がりを眺めてても、人によってはもうすでにそこが逆転してるんでしょうね。

ただ、私の理解としてはあくまでもそれは自分自身の価値でなく、「自分の評価」の価値です。

そう、意識的にせよ無意識的にせよ(現代の欲求シェアぐんぐん拡大中の)「承認欲求」を満たすのに、現実社会でがんばるよりも、SNSでがんばった方がいい(と思うようになってる)ってこと。

「気持ち悪い」って抵抗感よりも、そっちが勝るからやるようになるワケです。

まぁデジタルネイティブにはその気持ち悪さ自体がないっぽいのでなおさらやりますよね。

アラフォーより上でそこを克服してる人は「この先SNSで自分の評価の価値を高めておくことがどんどん重要になる」と理解して、意図してそこを目指してると。

(元々有名人でもない)頭のよさそうなインフルエンサー的な人たちはだいたいソレな気がします。

気持ち悪いなんて百も承知だけど、分かった上で今その評価を稼いでる。

まぁでも当たり前っちゃあ当たり前ですよね、現実だってそうで、動かなきゃ価値もなにも、存在すら気づかれないワケですから。

ざっくり言い換えれば「現代に適応していく」ってことになるのかもしれません。

デキる人はリアルだろうがネットだろうが関係なくデキると。

ただ、リアルでできない(と判断されちゃう)人でも、ネットを介することでデキる人になれる(というか認められてる空気感みたいなものを得られる?)確率がSNSによって高まる部分は大いにあるんではないでしょうか。

私自身、本当の本当は現実の方が価値の高いモノだと思っていますし、価値を意図して高めるって本当の意味での価値なの?!とも思っていますが、時代はそうではありません。

あわせて時代は、「評価の価値」とその人自身の価値を混同したまま進む、というか、時代が「評価の価値=その人自身の価値」として進むならそういう世の中になるってこと。

(どこかのタイミングで立ち返る時がくるだろうと思ってはいますが)先々数十年はそんな世の中が続くでしょう。

ってことはですよ、今現実社会で生きづらさを抱えてる人が、SNSにも懐疑的な感情を抱き続けて生きていくとなると、生きづらさが倍増してますます居場所がなくなるんではなかろうかと。

なんとなく生きづらい人が日本社会に蔓延してることが大問題。生きづらさは程度の問題ではない。
どうも、いつもなんとなく生きづらい林やすむ[@hayashiyasumu]です。「生きづらいいとも!」にリニューアルして半年ほど、テーマをひとつに絞って見えてきたことがあります。それは、自分より生きづらい人たちが山ほどいると...

だからこそ、実社会で生きづらさを抱えてる人は、今からでもSNSに向き合ってみてはどうでしょう?という提案がこの【本質編】、その具体的なやり方が【具体的な実例編】って感じになっておりますのでヨロシクどうぞ。

ツイッターは「表現」フェイスブックは「説明」

三大SNSというと、Twitter、Facebook、Instagram。

あくまで日本においての話ですが、機能というよりもそれぞれの世界観でけっこうちゃんと住み分けができてますよね。

価値の尺度という観点で見てみると、内面的な価値に重きを置くならTwitter、ビジュアル重視ならInstagram(ビジュアルでも動画に特化したのがTikTok)で、なんか「?」となるのがFacebookです。

Twitter、Instagram、それからTikTokが、自分の中にあるものを表現する「場」であるのに対して、Facebookの「場」で見えるものは、本人の中にある何かではなく、行いの過程や結果なんです。

Twitter、Instagram、TikTokが「表現」、Facebookは「説明」や「報告」って感じ。

※若干インスタも説明寄りになってる雰囲気はありますが。。(Facebook傘下になってそっち寄りになった感じですかね??)

他者からすると「表現」に触れて自発的に感じるのと、相手から「説明」されて理解するという違いがある。

価値の尺度という観点なら、表現に触れることの方が圧倒的に心に染み込む。

説明よりも表現の方が正直で、ウソが入り込む余地が少ないからかもしれない。

こんな感じで、機能としては大差ないSNSですが、「場」としての特性から、FacebookはSNS的価値判断には向かないんではないかなというお話。

リアルじゃすっかり不審者扱いの同意や共感の表明

現実社会で生きづらさを抱える人にSNSを勧めるもうひとつの理由。

たとえば、電車の中で見ず知らずの他人同士の会話に「ですよね〜?!」って言いたいときありますけど、(つーか生きづらいとか関係なく)そんなことできませんよね?

それをしていいのがSNSで、その場面がたくさんあるのがSNSなワケです。

共感というのは、する方もされる方も気分がいいので、立場を越えてフワッとしたwin-winの関係になれます。

これってむしろ、SNSの方がリアルよりも人間らしい感情表現ができてる気がしません?

だって今の世の中、リアルじゃ思っててもなにもしない(どころか、なにも思ってないフリまでしちゃう)けど、SNSなら思ったまま行動に移せるってことですから。

おじさんが子どもにあいさつしただけで不審者扱いの今の世の中。。

すべてにおいてあくまでも自然体で

さてさて、ツラツラと書き連ねてきましたが、すべてにおいていえることは、あくまでも自然体で、本当に興味のあることに対して、本当に思ったことがあれば発信しましょうねってことです。

そう、思ったことを思っただけにしないで発信する。

始めのうちは(自然体って言ってるわりに自然じゃないので)抵抗あると思いますが、ひとまずそこだけは越えましょう。

ムリはよくないけどちょっとぐらいムリしとかないと、せっかく気持ちが乗った時に身体がどうしても動かないとか、いざという時に自分が自分の足かせになります。

そして、思った通りにはなりません。

反応というのはあくまで結果であって、それを目的にしてしまうととたんに疲れますし、なにより楽しくなくなります。

あくまで自然体で、「コレについてこういうことを思う人間もいるよ」ってことをSNSの片隅に残してみる。

そんなちょっとしたあなたの気持ちに反応してくれるだけで、なんか嬉しくなるもんです。

フォロワーが少なくても反応を得られる理想的な方法・・はCMのあと!

SNSでまずつまずくのが「無反応」ですよね。

他者とのつながりがベースにあるはずのSNSで容赦なく浴びせられる「無反応」に萎えちゃう。

コレってホント、サービス側の責務な気がするし、そこを越えて楽しく使えた方がお互いハッピーなんですけど、細かいこと全然教えてくれない。

そんなんを克服するためのちょっとしたコツが見えました。

心持ちとしては、まず「フォロワー数を増やそう!」みたいなムリはひとまず禁物。

フォロワー数が目的になるとヒジョーに疲れます。

とはいえ、発信した自分の思いに、いいねやリツイートはもらいたい。

それを自然に叶える方法を私なりに確立しました。

ってのを、次回【具体的な実例編】でお送り致します!※一週間以内には公開するので、ぜひこの記事をブックマークしておくなり、(一時的にでも全然いいので)[私のツイッターをフォロー]してもらえると、情報の藻屑にならずに済みます!!

>> 公開しました!

リアルが生きづらい人の[フォロワーが少なくても反応される]ツイッター活用法【具体的な実例編】
どうも、林やすむ[@hayashiyasumu]です。二本立て記事の二本目です。前回で本質的な部分を踏まえてもらって、今回は「フォロワーが少なくても反応される方法」の実例などの他、具体的にどんな使い方をすると疲れず自分のためにツ...

ではでは、バイナラーッ!!

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