さてとポテト。
コレのつづきです。
全体の狙いとしては、子ども(や大人も含めた「気づいていない」読み手)本人がなんとなく読み進めて、結果、疑問を持って調べるなりそういうきっかけにしてもらうことでして、そんな表現を心がけてます。
なので、(幸か不幸か)世の中の仕組みに気づいちゃった人にとっては当たり前のことだったり、ヌルい表現だったりすることもあるでしょうが、そういう視点で読んでみて下さいまし。
「本当かウソか」はだれも分からない
「ちょっとだけ昔」と「今」で、一番変わったことはなんでしょーか?
正解はズバリ、「インターネット」です。
インターネットでなにが一番変わったでしょーか??
正解は・・・、ちょっと待ちましょう。
・・・
ズバリ、「情報」がものすごく増えました。
インターネットがない時代は、「テレビ」「新聞」「本(マンガや雑誌も)」が、「友だちやご近所さん」以外の主な情報源で、それぞれ専門の会社が「伝えるべき情報」を選んで、みんなに発信していました。
ちなみに、私が十八歳ぐらいの頃から、たくさんの人がインターネット(や携帯電話)を使うようになってきて、私自身もその頃に初めてインターネットや携帯電話を使いだしました。
つまり、私がキミたちぐらいの子どもの頃には、インターネットもスマホもなかったってこと!
ってことはもちろん、ユーチューブもLINEもありませんでした。
インターネットとテレビ(などこれまでの情報源)の大きな違いはなんでしょーか?
・・・
ズバリ、自分も情報を発信できることです。
私がやってる「ブログ」や、キミたちの大好きな「ユーチューブ」なんてのも、個人ができる情報発信のうちのひとつです。
誰でも情報を発信できるようになると、よい面と悪い面があります。
さてさて、なんでしょう??
よい面は、決められた人でなくても好きなことを発信できる「自由」が生まれたこと、悪い面は、情報が多くなりすぎたことと、その情報がウソか本当か分からないということです。
テレビなどは、決められた会社が、決められた人を使って、決められた情報を伝えます。
作った人が好き勝手に面白いものを流しているワケでなく、「放送禁止用語」などのように、国民に伝えていいこと、いけないことが決められています(テレビ局やユーチューブなどの会社そのものが「伝えたい情報を多く流したり、伝えたくない情報を消すこと」もできます)。
たくさんの人が協力して情報を発信するので、ウソが少なくなるし、ウソばかり流すテレビはみんなから信用されなくなって、誰も見なくなります。
ウソがウソだとバレなければ。
キミたちが、私よりもテレビの言うことを信じやすいのはなぜでしょう?
私の言うことはウソかホントかよく分からないけど、テレビがみんなにウソをつくわけがないと思っているからではないでしょうか。
他人の言うことよりも、「自分の中の当たり前」を信じたいのが人間です。
なぜみんなテレビを信用するのでしょう?
生まれたときから当たり前に家にあって、家族も先生も友だちも、みんな当たり前にテレビの言うことを信用するのを見てきたからです。
小さな頃からの「当たり前」に、たいした理由はありません。
つまり、「たいした理由もなく信用している」ということ。
信用しているということは、「疑わない」ということ。
疑わないということは、「ウソでも信じてしまう」ということ。
そしてさらには、信じたウソがみんなの当たり前になれば、「ウソでも本当のことのようになってしまう」のです。
(自分で)私の味方をしておくと、誰か一人の言うことよりもみんなの言うことを信じやすいのが人間の本能だと理解しておくと、私の言うことが意外とウソでないこともそのうち分かってもらえることでしょう(涙)。
インターネットで誰でも発信できるようになると、テレビが伝える情報以外にもいろいろな考え方や、いろいろな答えがあることが分かります(情報が多すぎて脳みそがくたびれるという問題もあります)。
テストの答えはひとつですが、世の中は、答えがひとつかどうかなんて決まってないし、答えがあるかどうかも分からないし、それが本当に正解なのかも分からないし、誰かが正解を決めてくれるものでもありません。
いろいろな情報を知ると、テレビよりくわしい情報が本やインターネットにあったり、テレビの言うことがウソっぽく感じたり、実際にウソが分かったりするようになります。
バレなかったウソがみんなにバレ始めているのが今です。
みんなが発信できるインターネットによって、今まで伝えられなかった情報を知れるようになり、これまで無条件に無意識に信用してきたテレビや新聞などの情報も、ウソか本当か分からなくなってしまったのです。
「ちょっとだけ昔」は、情報そのものが少なく、それをみんなで信じていればみんなそれなりに楽しく過ごせました(さっきの「信じたウソがみんなの当たり前」になっていて、みんながウソに気がつかない状態)。
今は、なにが本当でなにがウソか、誰にも分からなくなって不安です。
具体的になにが不安なのかといわれるとはっきり分からないような、漠然とした不安感が一人ひとりに少しずつ増えて、世の中全体が少しずつ暗くなっているような感じ。
「不安」によって、人をコントロールすることもできます。
テレビや新聞、インターネットなどのマスメディアは、よくも悪くも「人の気持ちや選択」を変える力を持っています。
とにかくこれからは、ウソか本当か判断するのはすべて自分で、ただ「みんなと同じ」を選んでいると、大げさに言えば、みんなと一緒に死んじゃうかもしれません。
大げさでなく言えば、「みんなと同じ」を選ぶとなにかがもらえたり、みんなとちがう方を選ぶと自由がうばわれたり、大切ななにかと引きかえにされたりして、行動をコントロールされるようになります。
「〇〇をすれば、もれなく割引クーポンをプレゼント!」みたいなのに気軽に乗っかっちゃうことが、なにを意味するのか。
「まぁいいや」と従えば従うほどエスカレートして、いつのまにか、ある日突然、毎日が楽しくなくなるかもしれません。
でもきっと、実際にそうならないと分かりません。
多くの人は、自分自身が本当に困らないと考えないし、動きません。
「なんかおかしいな?」と思い始めたときに、これからどうするかを考えて、選択し行動するのは自分です。
悲しいけど、本当にそんな「安心できない社会」になってきているのです。
エラい人たちの中には、「人間がふえすぎたから頭の悪い人間や役に立たない人間は減らした方がいい」と思っている人もいます(優生思想『ゆうせいしそう』で調べてみよう!ちなみに、テレビ局や新聞社、世界の通信社などの持ち主をたどっていくと、そういった考えを持つエラい人たちだったりするのも、調べれば見えてくる事実らしきことです)。
それと、知らなくてもいい情報を知らずにいる(インターネットなどを使いすぎない)ことも大切です。
テレビや新聞はもちろん、学校で学ぶことや、先生の言うこと、なんなら親にだって正しくないことはたくさんあります。
今の大人は、「テレビや新聞や、国のやることは正しいと思わされてきた人たち」なので、多くの人はテレビがウソをつくわけがないと信じ込んでいます(政治家はウソをつくと思ってる人はけっこう多いですが、それはテレビで政治家の犯罪などのニュースが流れるからでしょう。結局テレビを無条件に信じているということですよね)。
本であることが肝ですんで、購入できます(私の利益はゼロ円だと何度でも言いましょう)。
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