コロナやウクライナを追いかけない日々

コロナ

さてとポテト。

少し前にこんなんを書いた。

このところナチュラルにそんな感じで過ごせている。

世の仕組みに気づいてしまったら最後、まったく気にしない、情報を入れないというのはそうかんたんではないというか、おおよそどういう方向に向かってるのかぐらいは知っておかないとまずいので、完全に情報を入れないことはない。

ただ、世の中の動向ばかりを気にしていると際限がなく、全体像としては結局「死なないための人生」になり、それは何を隠そう「コロナを過剰に恐れてワクチンを打っちゃう人」と似たような人生の過ごし方に他ならないのである。

コロナ(や今ならロシアウクライナなど、支配層の方々が仕かけているであろうアレコレ)を日々の中心に据えてしまうということは、考え方はどうあれ、「死なないための人生」を生きているということになってしまうのだ。

その点では、あまり深く考えずに周りに同調してマスクしてワクチン打つ人なんてのは、意外と普通に人生を楽しめてるとも言える。

一本道が(けっこうな頻度で)所々一本橋になってることには気づかず、ただまっすぐ歩いてて、結果なにごともなく生きてるっていう。

そういう人たちが大多数である状況の中で、この先数年の間に、食糧危機だ経済危機だと、人類が様々な危機に見舞われ、現実に食べるものがない、生活するためのお金がないとなった時に、自分(や日々を捧げて万全の準備をしてきた人たち)だけが生き延びることのできたその社会は、活き活きと生きられるような社会なのだろうか。

っていや~、なんか急に疲れた。

要するに、備えるばかりでいるよりも、今自分が楽しいと思えることを中心に生きたいなって、冒頭の記事をこすってただけなんですけどね。

ここんとこツイッターもあんまり見てなくて、たまーに覗くと変わらずみんな、ワクチンだマスク(イーロン含む)だ、ロシアだウクライナだって言ってる。

そんな人たちのおかげで、真実らしきことを知れてアレコレ思索を深められるんだけど、一歩引いて見てしまうと、なんかそんなん思っちゃって。

もちろん、コロナは今まさに自分ごとだし、他のアレコレも、先を見据えれば我が身に降りかかる自分ごとなので、今備えをしないでいつするんだってのは理解できるんだけど、このまま一生「緊急事態宣言中」みたいな人生ゴメンだなって。

まぁそんな「サバイバル状態」を楽しむぐらいまで行ききっちゃえばまたちがうんでしょうけどね。

そういう意味では、一般庶民も巻き込む、というか「支配層VS大衆(の一部)」の静かな戦争状態ってのはこの先もずーっと続きそうなので、だったらやっぱり、できるだけ活き活きとした日々を過ごした方が、「生きてる」って感じがしていいんじゃないかな~って思ったの。

しっかし、大陪審とかニュルンベルク裁判とか一体どーなってるのよ??

じゃ、おやすむ~!

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