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「ラクで便利な世の中」でキミたちはどうなっていく?
世の中が便利になることはよいことだと思いますか?
若い頃は私もそう思っていました、というより、そんなこと考えもしませんでした。
今はそうは思いません。
世の中が便利になればなるほど、できなくなることが増えていくのに気がついたからです。
昔のスゴい発明も今の便利なサービスも同じようなもので、それを思いついてみんなが使える形にする人というのは、人間の中のごく一部の誰かです。
使う人は便利になる分、それまでやっていたことをやらなくなります。
人間の体や脳みそは、使わなくなればどんどん働かなくなります(さっきの「はたらく細胞」たちが、働く必要なくなっちゃうってこと)。
ラクだからと、なんでもかんでも他人や電化製品、パソコン、スマホに任せていると、自分がどんどんバカになるし動けなくなるということです。
ごく一部の人の発明で、世の中全体は進化していきますが、それを使う多くの一人ひとりは、ラクをすればするほど退化していきます。
便利を生みだす人になれなくても、便利なモノを使うだけの人になると、どんな人間になっていくのか。
迷わず階段よりエスカレーターを使ったり、そんな「なにげない選択」をするときに、その「なにげない選択の繰り返し」で自分がどうなっていくのかをイメージする習慣をつけましょう。
読んで字のごとく、人間は「動物」、「動く物」です。
便利になって情報がふえた今の社会は、人間から「動くこと」を奪います。
キミたちは、スマホやインターネットが当たり前の時代に生まれました。
なので、「だんだん動かなくなっている」という実感がありません。
たとえば、私がキミたちぐらいの頃は、なにかを調べるにしても、人に聞いたり、本屋さんや図書館に行ったりしましたが、今はスマホでスイっとするだけです。
もうちょっと昔の人は、「人に聞く(コミュニケーション)」か「やってみる(行動)」か、もっと昔の人は、とにかく「やってみる」しかなかったんじゃないでしょうか。
自分でやってみて「身につけること」が知ることだったのかもしれません。
人間は動かないと動けなくなります。
骨折して腕や足を一ヶ月固定しているだけで、見て分かるぐらいに細くなり、力も弱くなります。
ってことはやっぱり、人間は動く必要のある「動物」なのです。
どんどん便利になる今の社会を当たり前にして、動かずにいればいるほど、自分の「人間らしさ」が失われていきます。
「面倒臭い」という感情が増えてきたら要注意。
面倒臭いままほっとくと「イヤな気分」がたまっていくばっかりだけど、とりかかってしまえば意外とやる気になっちゃったり、片づいたとたん「イヤな気分」が、すっきりサッパリ「いい気分」に変わっていることは、経験から分かっているはず。
「面倒臭いと感じたらすぐやる」ってのが、シンプルに自分のためです。
ちなみに、イスに座る時間が長いほど、病気になるし、早死にするし、座りすぎはタバコと同じぐらい有害だという研究結果もあるんですって(って実はタバコも悪いだけのものではないみたいですけどね)。 たくさん座る人ほどたくさん動いたほうがいいってことかな。
本でのご購入できます。
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