長期間のマスク生活が、子どもに与える悪影響やリスクの数々をまとめておきます。
大人なら大丈夫というワケではなく、特に子どもへの影響が大きいってことですので、ヨロシクどーぞ。
マスクを外そうとしない子どもに思うこと
まずいろいろ並べる前に、子どもたち(小5娘・小1息子)と一緒に暮らしながら、「家以外ではマスクを外そうとしない子ども」を見て思うところを書いておきます。
単純な話、みんながしてるからするんです。
「みんなと同じように静かにできればいい子」「言うことを聞かなければ悪い子」「みんなとちがうことをすれば笑われる、責められる」そんな教育、そんな社会の中で育てばそうなるんです。
テメーの子育て棚に上げて人のせいにするなと思われるかもしれませんが、子どもには子どもの社会があります。
それまではほぼ「家族」だけだった自分の社会が、小学生ともなれば、学年が上がるにつれ「家族」よりも「友だち社会」優位になります。
自分が子どもの頃を思い返してみても、友だちとのアレコレは考えても、「家族」がどうなんて意識したこともないですしね。
上の娘はもう小5です。
親がいくらマスクの害を伝えたところで、害があってもウィルスを防がなくても「自分だけマスクをしていない状態」の方がイヤなのです。
学校でも道バタでも。
それでも「マスクをしないのが我が家のルール」と強制することもできるかもしれませんが、そこで子どもの心をないがしろにして親子の間で失われるものもあるワケです。
ちょっとイメージしてみて下さい。
たとえば、声だけデカいバカな男子に「なんでお前だけマスクしてないの!?」とか言われるワケですよ、教室で、デカい声で。
外で見かけられても同じ。
もうそれだけでイヤでしょ?理由がどうとか関係なく。
結局大人も同じようなものですが、子どもの社会の方が知識や経験が少ない分、より「本能的」です。
理屈は通用しません。
その辺のメリットデメリットは単純に比較できるものでもなく、本当に歯がゆい問題ですが、できる限り子どもの健やかな成長を妨げることなく、親としてできることを模索していく所存であります。
えぇ、独白が長びきましたね。
本題並べましょう。
マスクによる酸欠で「本来そうなるはずだった自分」が失われる
一番はとにかくコレ。
失われたものは戻ってきません。
たとえば「普通に生活していれば10できる人になるはずだったのに6しかできない人になる」みたいなことです。
元々持って生まれた能力が、マスクをしてればしてるほど失われる。
頭のよさかもしれないし、運動神経かもしれないし、視力かもしれないし、絵のうまさかもしれないし、健康状態かもしれないし、やさしさや笑顔なんてものだったりするのかもしれない。
マスクをすればするほど、本来そうなるはずだった自分よりも、低い能力の人間になっていくということ。
そんなふうに、私は理解しています。
あなたの効率は損なわれたままで、脳内の酸素不足は進行し続けます。
神経変性疾患は、発症するまでに数年から数十年かかることがわかっています。
今日、あなたが電話番号を忘れたとしても、脳の故障は20年前、30年前にすでに始まっているはずです。マスクをつけて自分の吐く空気を再呼吸することに慣れてきたと思っている間に、酸素不足が続くと脳内の変性プロセスが増幅されていくのです。
第二の問題は、脳内の神経細胞が正常に分裂できないことです。
ですから、仮に政府がマスクを外して、数ヶ月後に自由に酸素を吸えるようになったとしても、失われた神経細胞はもう再生されません。
消えたものは消えてしまうのです。【マスクの取り返せない弊害】ドイツ神経学者が「酸素欠乏は永久的な神経障害を引き起こす」と警告
私はマスクはしません、私は考えるために自分の脳を必要としています。
本人の危機感次第で、なるべくマスクの時間を減らすとか、鼻マスクにするとか、できることはあるにはありますが、ちょい上で書いたように、子どもにとってそうかんたんなことではありません。
マスクで顔を隠すことで「人間の感情」を失う
次。
マスクの化学物質を吸い続けることの害も書いてますが、そういうのより心配になること。
このまま全員が顔を覆うことを続ければ、我々の子供世代は、ざっと50%暴力傾向が強まり、50%共感能力が低くなる。同じ人間、同じ仲間を、5割方人間とも思わなくなるだろう」
参考:David Grossman『殺人の心理的コスト』(On Killing)
~ 中略 ~
奴隷は、マスク、猿ぐつわなどで口元を覆われ、その自由を奪われる。これは洋の東西を問わずに大昔から行われてきた。顔を見せさせないことで、感情の発露を殺す。いわば、人間であることをやめさせているわけだ。
マスクのメリット、デメリット|中村 篤史/ナカムラクリニック|note
こちらにも、マスクの子どもへの影響がまとめられています(※記事内に関連記事リンク多数あり)。
日本の小学生に相当する 7歳から 12歳の子どもたちの半数以上が頭痛を訴え、3割近くがめまいを感じ、2割が失神を経験しています。
子どもの「マスクの害」についてドイツで世界で初めてとなる大規模な調査研究が発表される。それによると7割の子どもが身体と精神に影響を受けている – In Deep
マスクで芽生える「恥ずかしさ」は子どもの未来を変える
次。
こちらのマンガ。
あくまでジョークっぽく書かれてますが、「恥ずかしい」という概念(を幼少期から過度に育むこと)は、子どもの未来を大きく変える可能性があると、子育てをしていて強く思います。
マスクに限らず「恥ずかしい」を理由に、みせない、やらない、話しかけないなどなど、その行動のあとに起こる様々な経験の機会が失われるのです。
安全な酸素濃度の下限は「18.0%」でマスクをすると「17.4%」という科学的事実
次。
これは子どもも大人も同じですが、その影響は成長段階の子どもの方が大きいと思われます。
コロナどうこう関係なく、シンプルな科学的事実として、
マスクをつけている=安全でない状態
ということです。
マスクの酸素濃度
大気環境検査機での測定結果がこちらです。
マスクなし・・・20.5%
マスクあり・・・17.4%
労働環境に必要なレベル・・・19.5%
~ 中略 ~
人体にとって許容される酸素濃度の下限は18%。
6%以下では数回の呼吸で意識を失います。
マスクを付けた時の酸素濃度と、低酸素の体への影響
マスクの酸欠と必ずセットになる「吐き出した二酸化炭素の再吸入(酸素と二酸化炭素のバランスも含め)」という問題もあります。
「平気」や「慣れ」は害をため込んでいるだけ
加えて、大人でも子どもでも今の状況をなんとなく受け入れている人の心理に「平気だから」とか「慣れた」みたいなものもあるかと思いますが、これについて書かれているブログ主さんの見解。
「平気」と、「健康」は意味が違います。
人間は有害な環境でも、ある程度なら慣れてしまうので、不健康な状態を「平気」と認識することはよくあります。
しかし、平気で何も感じないからといって、その状態が、体にとって害がなく、健康であるとは限りません。どんな有害物質にも言えることですが、弱い人から体を壊していき、丈夫な人はゆっくり壊れる、その違いです。
マスクを付けた時の酸素濃度と、低酸素の体への影響
必ずや、「よく分からない不調」として自分に返ってきます。
まぁ「よく分からない不調」のまま、マスクのせいにはならないんでしょうけど。
単なる酸素濃度測定器のページの分かりやすい表も貼っておきましょう。
こちらにもこう書かれております。
酸欠の危険性
酸素欠乏状態 : 空気中の酸素濃度が18%未満の状態
酸素は通常、空気中に約20.9%含まれています。これが18%(安全限界)を下回ると、人体に影響を及ぼすことがあります。酸素欠乏による事故は、人の脳に大きな影響を与える可能性があり死亡事故に繋がりやすく非常に危険です。
理研計器 投込式ポータブル酸素モニター OX-08の格安販売 | 株式会社佐藤商事
コロナのあおりでもなんでもなく、「酸素濃度が18%以下になるマスク着用は危険」ということです。
でその慢性的な酸欠状態ってのが、冒頭の懸念とはっきりつながってると。
子どものマスクのリスクまとめ
さてこんなとこで、並べればキリがないほど重大なリスクだらけです。
ザッと箇条書きにして終わりにしましょう。
- するはずの成長をしなくなるおそれがある(慢性的な酸欠状態により、正常な細胞分裂が妨げられ、本来成長過程のその時に行われたはずの細胞分裂が取り戻されることはない)
- マスクにとどまる雑菌の長時間の吸入
- マスクの化学物質の長時間の吸入
- 二酸化炭素の再吸入
- マスクで顔を隠すことによる、感情や情動、認知などの未発達
- 「マスクがないと恥ずかしい」という心理状態の変化
加えて、「思考のない服従」の継続(※学校教育そのもののような気もしますがね!)も、人格形成に大きく影響するでしょう。
一番に理解しておくべきことは、まず「マスクのウィルスを防ぐ効果は極めて乏しく、生涯に渡る健康被害があるだろう」ということ。
大切なのはこれらの事実を元に自分で考えることです。
この一年で、新型コロナが子どもの脅威ではないことは目の前の現実が証明しているし、子どもが大人への感染リスクになるという根拠もありません。
むしろ、子どもが大人の感染のリスクを下げているという研究結果まで出てきました。
ここまで書いてきたような、当たり前に転がっているマスクのリスクを無視してまで、子どものマスクを強要し続ける社会が、まともな社会でしょうか?
そんな社会をいつまで信じるつもりでしょうか?
大人が、やむを得ない場合以外でもいつでもどこでもマスクをし続けるということは、(今の状況でなお)「子どもにマスクを強要するのを当然とする社会」に加担しているのと同じことです。
そんな大人の姿が、子どもの未来の姿です。
子どもが失ういろいろは、マスクのせいだけではなく、大人のせいとも言えるのかもしれません。
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