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どうもこんにちは。
やすむ[@hayashiyasumu]と申します。

いわゆるひとつのプロフィール的なものになります。長いので、時々「ながッ!」って言いつつ、読めるところまででも読んで下されば幸いです。

母子家庭で足立区育ち、高校中退(こんな3大条件をクリアしつつ非不良)ののちカフェ自営失敗×2、ネットTシャツ屋失敗×2、現在アラフォーパパ。尊敬する人は、漫☆画太郎先生です。

盗んだバイクで走り出さずに高校中退

さて、高校中退といっても、盗んだバイクで走り出しそうな尾崎豊的発想の中退ではなく、1年普通に通って、3年間行く必要はないかなと思って、なんとなくやめました。

べつに不良でも不登校でもなく、学歴が必要な仕事に就いてその職業でずっと生きていくつもりはなかったので、ただ必要ないと思った。それだけのことでした。

まぁでも、(アッという間に)アラフォーおじさんになって、そらまぁなんですか、おじさんになると尚更で、途中でやめる “続かない人” と思われてしまうってとこについては、完全なるマイナスでしたね。

若いうちはなんとなくやさぐれたアウトロー感なんかにもつながったりして、たいして気にもならなかったんですけど、(実感として)社会的に何の結果も残せないままここまで来てしまった今、なかなか恥ずかしいですハイ。

死体Tシャツ屋を原宿でオープン

《10代後半〜20代前半》

さて、そんなことはさておいて、高校を中退した私は、1年間ぐらい(当時毎日のようにやってた)ワイドショーのオウム真理教の会見を見たりするだけの日々(ミラレパとかマハーカッサパとか知ってるかい?)を過ごしたあと、当時の愛読書「B級ニュースマガジンGON!」の殺人鬼Tシャツ特集に触発され、「オレも殺人鬼とか死体(なぜか死体追加)のTシャツ作りたい!」って思って即行動。

コンビニで、チンピラっぽい人が店の中でツバを吐くので、ある日ティッシュを持ってって「それ拭いて下さい」って言いに行ったら襟首つかまれて、でも防犯カメラがオレを救ってくれると思いながらガンジーさながらの無抵抗主義を貫いてその場を乗り切って店長にそれを話したら、店長から「ごめん、ビデオ撮ってないんだ」って言われたりしながらバイトして、半年で100万ぐらい貯めて、殺人鬼と死体のオリジナルデザインTシャツ屋を原宿の古いビルの3階でオープン。

本物のヤバイTシャツ屋さんのチラシ

※念のため、カッコいい言い訳をしておくと、そんな趣味ってよりもタブーへの反抗が動機ですハイ。

代表作「水死体Tシャツ」はこちらでどうぞ

本物のヤバイTシャツ屋さんが「ヤバイTシャツ屋さん」(バンド)とタンクトップとの関係に迫る
どうも、22年前に、原宿で水死体Tシャツを売っていた鈴木よそじです。 そんな、本物のヤバイTシャツ屋さんだった私が、心をグイッとつかまれたバンド「ヤバイTシャツ屋さん」の魅力を、何の見返りもなくお伝えします。 無線LANが便利なことを歌う人たち “ただ思っちゃったこと”

お店やっちゃダメって契約だったのにこっそりやっていたのが大家さんにバレて、3ヶ月で北千住にカムバック!

その後、まだまだネットで物を買うなんて恐くてできるかよ!って雰囲気プンプンの時代に、よりによって殺人鬼と死体のTシャツをネット販売。今のこのブログのように「全く何の感触もない」というほどでもなく、(今思えば)当時の環境下ではそれなりの可能性を感じられる程度の反応はあったように思います。てゆーかあの頃のあれに反応していた人々ってどんな人たちなんだろうかと。

テレビのADか志村けんの付き人か

でもまぁ、食べていけるようなレベルではなく、職を探してフロムエーを眺めていて目に止まったのが、テレビの制作会社のADの仕事と、志村けんの付き人。※「だっふんだ」ではなく「ダ.フンだー!」がオフィシャル。

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志村けんの付き人は運転が必須で、すでにペーパードライバーだった私はADを選びました。面接の時に、通りがかりの鶴瓶に「お疲れ様です」って挨拶されたことは今でもよい思い出です。

ダウンタウンの番組とかもやってる制作会社だったんですが、テレビ朝日の番組に配属されてしまい、結局ダウンタウンには会えずじまいだったのが心残りです。

必要もなく終電で帰れないとか、透明人間扱い(無視)とか、その他諸々の理不尽体験を積み重ね数年で退職。

同じ頃、並行して続けていた死体Tシャツのネット販売も辞めました。

※このあたりで注釈を入れましょう。この頃(20代前半)までは、体調とかメンタルとか特に気にならず、やりたいことをやりたいようにやって生きていた気がします。うまくいくとかいかないとかそんなんも何も意識せずに。

150キロを打ち返し続けて見えたカフェ開業

《20代前半〜20代中盤》

この辺から、ため息とか舌打ちとかが増えてネガティブな感情ばかりが心を覆うようになってきました。並行してか、いつのまにやらなんだか腰が痛くなって腰から足の先までしびれがある状態が定常になってきたのもこの頃です。

生粋の足立っ子なのに広島カープファン(カープの立ち位置&前田智徳が好き)の私は、仕事中にバッティングができるという高待遇に惹かれ、バッティングセンターの店員に。

修練の甲斐あって、150キロの豪速球をカキンカキン打ち返せるようになりました。

しかし、大勢の中にいることがどうにも苦手なので草野球もせず、ただ「150キロで飛んできた球を棒で打ち返せる」という技能を身につけただけでした。

彼女もおらず、人生に違和感を感じながら、ただ150キロを打ち返す日々を続けていたある日、ふと思いました。

「そうだ、カフェやろう」

人間、なんだかんだやさぐれても結局目標ができたりするだけでワクワクしたり、ナニクソ!って思ったり、血が巡るというか、とにかく “いい感じ” になるものです。

ちなみに、カフェ巡りが趣味だったワケでもなく、飲食業の経験もなく、特に料理好きでもなく、ただ “できそう” という理由だけで突き動かされました。

おいしいコーヒー探したり、淹れ方試したり、チーズケーキ作ったりとか、苦もなく試行錯誤を繰り返しながら、身体とかメンタルがなんとなくおかしくなっていく前のフラットな状態を久しぶりに思い出して、振り返ればなかなか楽しい日々でした。

人生最大の幸運は「結婚」だと思っています

《20代中盤〜20代後半》

で、(足立区は意図的に避けて)なんとなく好きだった高円寺で開業。

客を寄せつけない店として、一部で物議を醸し続けましたが、キチガイじみた店のたたずまいと、私の人見知り丸出しの接客のミスマッチにより、3年であえなく廃業。

15年前に漫☆画太郎先生から届いた一枚のハガキ
さてとポテト。昔を懐かしもう。画太郎先生の直筆メッセージに支えられたのはランジャタイだけじゃありません。▼ランジャタイ国崎氏のnote ▼15年ほど前、私は杉並区高円寺で喫茶店を営んでおりました...

しかし、その頃に妻と知り合い、後に結婚という想定外の幸運あり。

正直、今の私に妻と子どもがいなかったらと思うと、ゾッとするなんてもんじゃありません。なんていうか、ちょっと早いですけど、取り急ぎ悔いはないっつうんですかね、上の娘がもう7歳(※プロフィール作成時)ですから。私のような人間でも、結婚して子ども育てて、ってのがここまでできたのは、軽い奇跡と言っていいですね。

テレビブロスに自分のコラムが載る

《20代後半〜30代後半》

ここからしばらく、おとなしく会社員生活を送ります。
その頃テレビブロスを買っていて、素人が連載できるかも?!っていうコーナーができて、なんとなく「お」っと思って、なんとなく書いてみたら、なんとなくうまくまとまった気がしたので送ってみたところ、見事に掲載されました。2週続けて掲載されたものの連載には至らず。
※せっかくなのでアップしました。

テレビブロスに載った私のコラム「老人と私」【第一話&第二話】
どうも、面接で足し算引き算、漢字の読み書きの小テストをされられている、無職の林やすむです。もうかれこれ5~6年以上前に私の書いたコラムがテレビブロスに掲載されたことがありまして、せっかくですし載せておきます。製造業の品質管理担当として、生きづらいながらも会社勤めをしていた当時の社内の様子を描いた

テレビブロスに掲載されたコラムの画像01

しかしまぁなんというか、自分の文章が、何のコネもツテもなく、その筋の人のおメガネにかなうという経験はとっても気持ちのよいものでした。

そんなこんなで、なんと7年ぐらい会社員ができました。自分で自分をほめたい。

本来なら(何の本来だよ?!って自分で書きながらキレてますが)、子どももできて、このまま普通に(何の普通だよ?!って再度キレてますが)働いていけば不安もなく平穏な日々が続くのに、ってとこですよね。

でもやっぱり “なんか違う” って感覚はどうにも消えませんで、またTシャツ屋始めたり、運よくカフェにチャレンジできたりしたものの、どうもイマイチ弾けきれずにやめて、再就職しても職場の環境がマッチせず(「我慢しろ」とか「そういうもんだ」とか「甘い」とかいう意見ばっかりでしょうが、耐えてナンボってのがキツいんですってば)、今に至る。

FIREは無理でもダウンシフトならできる。高校中退アラフォーの働き方例
高校中退、手に職なしの妻子あり(娘7歳、息子3歳)、鈴木よそじです。 二ヶ月半ほどの無職期間を経て、この度ようやく職にありつけました。 前職のWEBコンサルタント見習いから、ビルの受付のおじさんへの転身です。 実践ダウンシフト! ということで、人生先取りの “初老デビュー”

40歳、無職、妻子あり。代表作これといってなし。

つまるところ、途中でやめる “続かない人” です。

以上!

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